篠脇城 Shinowaki Castle
 
立体模型 名称:県史跡 篠脇城跡
指定年月日:昭和48年11月14日
所在地:岐阜県郡上市大和町牧字志ノ脇
所有者及び管理者:明建神社ほか
 篠脇城は、鎌倉末期、東氏4代氏村のときに阿千葉城(剣)より移り、以後天文10年(1541)11代常慶が八幡町赤谷山に移るまでの8代約230年間にわたる東氏の本拠地です。

 標高570m、麓からは約270mの高さの山城で、登り口から九十九祈りの道を焼く900m登ると、山頂に3段の平に達します。最上段に約1000uの本丸が、そこから約4m下って約1500uの二の丸、さらに約3m下って約1000uの腰郭があります。本丸南方の小台地には出丸も確認でき、見張り台もあったようです。二の丸から約40m西北に下りたところには湧水もあり、城の飲料水になったと考えられます。

 この城の大きな特徴は、頂上の平地を囲んで放射線状に30本余りの「臼目の堀」と呼ばれる竪堀が構えられていることです。天文9年(1540)越前朝倉勢が来襲しますが、東氏は腰郭にあらかじめ丸太や丸石をためておき、この竪堀を利用して、攻め登る敵に落しかけて撃退したと伝えられています。

朝倉氏との戦い 想像図 明治42年、本丸跡に忠魂堂が、九十九祈り登山道の曲がり角ごとには三十三観音像が建立されました。 東氏館は、少なくとも二度の大きな戦火にあっています。一度は、応仁2年(1468)、美濃の守護代斎藤妙椿が急襲し、焼き払われました。また、天文9年(1540)には、越前朝倉勢の来襲を受けて戦火にあい、これを契機に翌年、八幡町赤谷山に城を遷しました。

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名勝東氏館跡庭園