わらべ一年の戯(ひととせ たわむ)

 正月がやってきた。楽しいことずくめの新年、新しい気持ちで雑煮(ぞうに)を食べ新年拝賀式に向かう。後は兄弟で友達同士での思い思いの、かるた・みかんつり・凧あげ・みんなみんな心を新たにして、正月の一日を心ゆくまでくつろいだ。雪も深かった。寒かった。かじかんだ手を口にくわえ、(そり)で滑った。落とし穴も作った。ぎっちょうも張った。そうこうしているうちに新年の気分も抜け、節分。そうして立春。

 春の息吹が其処彼処(そこかしこ)に漂い始める。かってこに乗って春を迎えに行った。日当たりのよい田んぼのぼたに、早くも蕗の薹(ふき とう)がのぞいていた。陽光が日増しに強さを増し、長い冬眠から蛇・蛙が目を覚ます。野山はみどりに彩られる。もうこうなったら、山も野原も川原も(わらべ)の心の中に宿りこむ。摘み草に山川の遊びに乱暴の限りを極め尽くす。時には余力を農耕の手伝いに駆り立てられることもあった。田植えの頃から、そぞろ水に親しみを覚える。

 いよいよ夏である。特に限られた制約もないので、朝から水泳、魚取りにと、冷たさを忘れて熱中する。泳ぎをよそに魚影を求めて追いまくる。腹が減れば胡桃(くるみ)の実をかち割って食う。すうめもゆすった。正に無法者のまかり通る夏の川であった。お盆の行事にちと殊勝らしく墓参りするも夜の花火に(あこが)れてのことで、暗い夜が赤く(いろど)られる夏の風物詩、貧しいながらも庭先に咲いた。

 秋は収穫の季節である。馬肥ゆる時である。とりいれの手伝いの合間、山の木の実(こ み)拾い、栗や栃の実をがさごそと探し回る。枝うらまで登って折れんばかりに木をゆすった。あけびはすするまくる。山梨は一口にかみくだく。
 大日も見えた。鷲ヶ岳も呼べた。白い雲も手が届きそうだった。夕暮れまで()きもせず駆け回った。

 秋の夜長は実にうんざりした。どうにもいたたまらなかった。赤なんばんのような電灯一つ、そんな時、祖母の『昔話』が心をいやした。そして、明日への希望をかりたててくれた。

 このように、みんなみんなふるさとの春・夏・秋・冬に溶けこんで生きぬいてきた。

つづく・・・