山家豆腐(やまがどうふ)・ショウエイ

 「やっとかめじゃったなー、まあ、まめそうで。」
久し振りに会った知己の人と交わされる紋切り型のふるさと言葉である。この「まめそうで」のまめの語意は、健康そうな様子を表しているものであるが、昔のおふくろ達もこの「まめ家庭」の創造に衣食住に(わた)っていろいろ工夫をこらしていた。特に食については貧困な食材を如何に価値あらしめるか念頭から離れることがなかった。なかんずく、豆については、その栄養価値の高いことを伝え聞いており、『豆食えばマメになる』と折々の副食に豆製品を()えることを怠らなかった。為に農事における豆の生産には格別の配慮がなされ、作付面積まで決められていた。田畑は言うに及ばず、田んぼの(あぜ)にもびっしり栽培されていた。
 おふくろの豆の惣菜は実に多種多様で、煮豆に始まり、加工を加えた豆腐・じんだ・なっとう(ショウエイ)・豆炒り・豆餅・おかち煮・糟餅(かすもち)等々多岐にわたっていたが、この項では山家豆腐とショウエイについて紹介する。

・山家豆腐
 昭和初期までのおふくろの時代には、嫁入りの身だしなみとして、豆腐作りも亦覚えねばならない芸の一つであった。早乙女(さおとめ)などといって農事に使われておって、身をやつして遊びこけている暇なんかあろう筈もなかった。
 豆腐製造用具はどこの家庭でも食道具として備え付けてあった。年がら年中の豆腐作り、特に盆や正月には「目玉ごっつぉ」として、欠くことができず豆豆腐()きの日まで設定され大量に作られた。時には親父も豆挽きぐらいには手を貸すこともあったが、仕上げは矢張りおふくろだった。自家製なるが故に硬軟は自由で、一般的に固めのものが好まれた。木の棒に数丁突き差して運んだとか、豆腐の角で額を打ってこぶができたとか、(およ)そその固さの程も想像していただけるだろう。
 さて、豆腐料理であるが、奴豆腐(やっこどうふ)や田楽にして食べるのは一般的な食べ方、おふくろの知恵の結晶ともいうべき「簀巻(すま)き」と「ひりょうず」がある。

・簀巻き豆腐
 かぶと鉢の中に幾丁もの生豆腐を入れ、手でこねて砕きミゴで作った簀の子で巻き固め、麻紐でしばって醤油・砂糖で煮詰めて出来上がり、棒状の豆腐に簀の子の模様、おまけに(わら)灰汁(あく)がのり移って味を一層利き立たせた。灰汁(あく)を転化させて珍味とするおふくろならではの秘術という所。

・ひりょうず
 豆腐を砕くまでは簀巻きと同じであるが、砕いた段階でその中に水に浸した刻み昆布やひじき等の海藻類、更に微塵(みじん)切りにした人参(にんじん)牛蒡(ごぼう)を混入し、よく練り合わせ両手で丸めて球状のものを作り、更に布巾で包んでコロッケ状に押さえ、充分水を落として油で揚げる。たまにはこんな手の込んだものまでもおふくろはのし。

・ショウエイ
 納豆らしからぬ納豆ショウエイについてお話しよう。一般的な納豆は、昔動物性タンパク質を食べることができなかった禅僧がタンパクの豊富な大豆を如何に美味しく消化よく食べるかと研究を重ねた結果、今日の納豆が考案されたわけで、その場所が僧坊の納所(なっしょ)である所から納豆と呼ばれるようになった。この辺りの農家では(わら)づと又は朴葉(ほうば)に包んで作られる。
 さて、ショウエイであるが、私が最初に食したのは小洞であった。黒ずんだねばねばっこそうな不可解なもので(どんぶり)で運ばれて来た。
「これ何というもんじゃな。」
と問うと、
「まんだ食いないたことないかな。ショウエイと言って納豆の仲間じゃぞな。」
食してみると納豆の味がする。さりとて色は黒く大豆の形が全く見当たらない。香ばしさや風味もあって普通の納豆よりきめが細かい。 それからショウエイに取り付かれ、その名の出所・根拠等を調べたが、皆目見当がつかずじまいで今日に至った。 穴にも角にも結論を出さねばと思い、私なりに想像を巡らしておふくろの手の内に迫った。
 この辺りの農家のおふくろが、あの一般的な納豆にあきたらず、思案模索の中に浮かび上がったのが、あのショウエイでなかろうかと。

《作り方》
一、大豆を黒焦げになる程()る。
二、石臼でこの豆を二つ割りに()き割る。
三、表皮を取り除く。
四、豆を更に細かく砕く。
五、豆と粉を分離する。
六、(長時間)煮た豆と粉末も混ぜて、(わら)を敷いて、朴葉に包み発酵(はっこう)させる。

 見てくれは悪いが一般的な納豆よりも香ばしく、(ほの)かな(にが)味もあり、物珍しさも手伝って、家族に喜んでっ食ってもらえる。 炒豆(しょうとう)で作ったらエイあんばいに一風(いっぷう)変わった納豆が出来上がった。ショウエイとのし。 おふくろは足しない食材の中から、このように各種各様なものを考案していった。()り豆から納豆、おわかりかな。
「エイコラサ、ショウエイでも作ろかな。」
と、おふくろは今日も台所に立った。(大洞・小洞では今でも親しまれている。)