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どじょう 裏の水神様から湧き出て大川までの100mほどの流れが、今でも中井水(なかいみず)と呼ばれてここら一帯の地形の特徴的な風景である。その昔は湧出口の水神様が“清水”(しみず)、少し下流に“オムツ洗い場”とあって、清水ではカブや白菜の野菜が洗われ、オムツ洗い場では洗濯物の濯ぎがなされていてオバサン連の井戸端会議場となっていた。
その洗い場を濁すことは大変怒られることで、清水とオムツ洗い場の間でタモを使うのはオバサン達が居ないことが大前提であった。オムツ洗い場の直ぐ下流というのはその名のとうり“雲古”が流れているわけで、くそんぼやどじょうもこいつを食べて丸々と太っていた。草を踏み分けてタモを突っ込む子供にとっては魚が目的であって、魚が食べているものはどうでも良いのだが、さすがその魚を食べる気にはなれなかった。それでも“ガサガサ”の漁を止めるわけではなくせっせと大小のどじょうを掬っていった。
もちろんその頃は田んぼにも無数にどじょうが見られて、これは田植えが終わって水の張られた田んぼを覗くと、ポワッと泥煙が立つので「ハハーン、あすこに隠れたナ」と悪ガキには判るのである。ここでいきなりタモをつっこんでも、どじょうはタモの届かない田んぼの中心へ逃げるので、そぉーっと近づいてタモを泥煙の向こうへ差し出し、手前へ追い込むようにゆっくりと泥ぐるみ岸へ引きずりあげるのだ。
他にもこの中井水に落ち込む排水溝とか、水路と呼ばれる浅い用水路のふちにもどじょうが居て、いぶしんの日に泥と一緒に道路へ放り出されてくねっているのを子供はバケツに拾って遊んだものである。