ちちこ | 子供が“ちちこ竿”で釣るさかなの中ではウチへ持って帰って最高に喜ばれたのが本名“かじか”や。これは大川の瀬の中にしか住まず、そこそこ川へ近づけた年齢にならないとあたりすらとれなかった。 本来“ちちこ竿”は置き竿で、何本も流れの大石の隙間の“穴”に仕掛けておかずとして釣っていたから専用のハリス付きの釣鈎とかが市販されていたらしい。文具屋の婆さんが前掛けの上で、今で言う袖鈎の青焼き(藤本重兵衛本舗の特徴)に0.8号くらいのハリスが20cm程ついて結び目が赤のエナメルで止めてあったと覚えている。これに山で取ってきた青竹の枝の先にハリス10cmくらいになるように結わえて、“がいむし”(ガヤ虫=クロカワ虫。ヒゲナガカワトビケラの幼虫)を挿して使った。 母には姉妹が沢山いて、子供の頃はヨシの葉っぱでガヤ虫を縛って釣るのが遊びだったと言っていた。物心ついたある夏の日に、鮎釣りに行った親父の元へ昼飯を届けた時だと思うが、オレもちちこ竿を持ってついて行き、母にちちこ釣りをせがんだら、ひょいひょいと瀬のフチの石を飛び渡って竿を“穴”へ差し込んで、あっというまにちちこを釣り上げた。昔取った杵柄だと笑っていた川原はもう姿を変えたけど、流芯の底の岩盤の色だけは変わらずに黒いままである。 祖父が無くなったのは6月だが、その一周忌の夜に親戚中で魚好きが集まって“ちちこの夜突き”に行った。「法事に殺生なんて」という叔母もおったが、蒸し暑い夜に久しぶりに集まって懐かしがる者達にはとんと聞こえなかった。古びた箱メガネに懐中電灯をくくりつけ、錆びかけた“ヤス”をもって裏の畑の向こうの大川へ繰り出した。今から思うとめったにない大漁で、帰ってから遅くまで捌いて大鍋いっぱいのちちこの甘露煮が出来上がった。その後の河川改修と汚濁でちちこはいなくなり、これが最後の“ちちこ突き”となった。 川で潜れるようになった年齢になったとき、本流の底には20cm超の大物がいたりしたが、今思うと“アユカケ”が住んでいたとも考えられる。岐阜産のカジカのサイズは5〜20cm止まりだと薀蓄氏から聞いたこともあるし、支流の一部を除いてH15年現在では本流には一匹もいなくなった“ちちこ”はこのへんの釣り好きにとっては郷愁の響きでしかなくなった。 それでもたまにタモを使って初夏の谷で水生昆虫を探ろうとすると、10cmくらいのヤツが飛び込んでくることがままある。いわなやあまごを釣った時よりも感動するようになったぞ。 |