「悪」の読み方について

    漢音に近づける努力

正信偈の中には「 悪」という字が何回も出てくる。

この悪の読み方が三種類あることに気がついた方がいて質問をされた。
善悪(ぜんまく)悪衆生(なくしゅじょう)悪時(あくじ)悪人(あくにん)
「 何でもないことかもしれないけれど、どうして読み方が三種類なのですか。」
と。

その時は「 単なる習慣や読み癖なのではないか」と答えたが、気になるので調べてみた。
そこには大きな宝が隠されていた。今までなぜ気がつかなかったのだろうと思う程の。
それは、日本語の成り立ちを示し、室町時代の漢字の読み方を示していた。

「 こういう言い方を連声(れんじょう)と言い、漢語で鼻音、内破音(ツ、チで表わされる漢字末音)に母音が続く場合に、次の音の前に前の子音をもう一回重ねること。」

例えば、
 観音→kwan+on →kwannon カンノン
 陰陽→wom+you →wommyou オンミョウ
 因縁→in+en →innen インネン
 因位→in+i →inni インニ
 輪廻→rin+e →rinne リンネ
 仏恩→but+on→button ブットン
 仏陀→but+da→budda ブッダ
 念仏を→nenbut+wo →nenbuttwo ブット
 仏は→but+pa→butta ブッタ (促音になった)

確かに「 邪見驕慢悪衆生」はkyouman+aku→kyoumannakuとなっている。
ところが、「 善悪」は私たちの読み方だとzen+aku→zennakuとなるはず。でも、「 ぜんまく」になっている。なぜだろう。
これはすぐにわかった。善はzenではなくzemなのだ。だからzem+aku→zemmakuと読むのだろう。つまり、漢語ではm とn は明確に区別されていたことになる。
そして、
「 五濁悪時群生海」「 即横超截五悪趣」などは子音で終わっていないのでそのまま。

日本語は母音で終わる音節で組み立てられている。ところが漢語にはt、n、m、p、kで終わる単語があった(現代中国語には無い)。漢字の中のt で終わる言葉は平安時代には独特の鼻音で発音されていた。
例えば「 仏」はbutであった。これをどう発音したらいいのか。フト、フツ、ブツ、・・・
ツを鼻音で称えるのは、平安時代以来の漢語の音に忠実であろうとした人たちの努力であろう。しかし、和語の「 つ」はそのままの発音であった。(ひとつなど)

t で終わる例
(雪 shetセツ 屈 kut クツ 八 pat 雪隠 shet+in→shettin 屈折 kut+setu→kussetu 八戒 pat+kai→pakkai 合掌 gap+syou→gassyou)
この発音を見ると、促音(ッ)がなぜ出て来たのかもわかる。

ここまでわかってくると、今まで疑問に感じていたことが自然と解けてくる。

(一)お経を読むときになぜ鼻音を使うのか?
(二)南無阿弥陀仏の読み方  「 ナモアミダブチ」
(三)促音(ッ)や撥音(ん)がなぜあるのか?
(四)仏の読み方は?昔、浮屠と言っていたのはなぜ?

鎌倉時代になって、それまでの和語読みから、漢字を使った漢語読みになったこと、漢字は呉音と漢音があること…などなど。

良いご縁をいただいたものである。

私は声明が苦手で、声の大きさだけは自信があるが、音程はあやふやでよく間違える。昔は声明よりも内容だと思っていたが、身体性を重視する立場から声明の重要性を考えている。そのバックにこういうことがあることに感心する。

当時の読み方をできるだけという意識がこうやって続いているということは、大事なことではないかと思う。葬儀は声明と法話の両方とも大事だ。


    仏暦二五五五年(平成二四年)五月

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