阿弥陀くじと後光と傘連判状


この三題話はどんな結末になるのだろうか。

○阿弥陀くじの由来
 「 阿弥陀くじ」は様々な所で使われている。お世話になった人も多いだろう。このくじの特徴は、線の間に一本横線を引くとその2本の縦線が入れ替わる所にある。だから、同じ2本の縦線の間に横線を2本引くと元にもどる。
 さて、問題はなぜ阿弥陀という名前が入っているのかということだ。阿弥陀という名はその他にも帽子の「 阿弥陀かぶり」がある。こちらの方は光背からきたものだろう。でも、くじの方は何とも予想がつきがたい。さっそく調べてみた。
 驚いたことに昔は阿弥陀くじには横線がなかった。しかも平行ではなく中心から放射状に線を引いていたらしいのだ。つまり、阿弥陀仏の後光を表していたというのである。室町時代のことらしい。
 阿弥陀仏の絵像には必ず後光が描いてある。これは光の線である。その数四十八本。なぜ四十八なのか。それは法蔵菩薩が四十八の願を建て、厳しい修行の果てに阿弥陀仏となったことからきている。
 この四十八願は全ての人が救われるようにという仏の誓願である。全て「 もし〜できないなら仏とはならない」と誓われている。その十八番目の願が本願である。十八願は「 一切の生あるものが、至心に信楽して私 (弥陀のこと) の浄土に生まれようと欲し、わずか十声の念仏でも唱えた人を救済できないならば、仏とはならない。」である。
 当時のくじは中央の方に印をつけて隠し、外側に名前を書いて誰が当たったのかを決めたのだろう。当時興った惣村(そうそん)の役などを決める時に使われたのであろうか。放射状に拡がった線が阿弥陀仏の光の線のように見えることから阿弥陀くじと言う名がついたのだろう。
 でも、疑問がいくつかでてくる。どうして放射状から平行になったのか。仏はたくさんいるのになぜ阿弥陀仏なのか。横線はなぜ入ったのか。・・・

○阿弥陀くじと傘連判状(からかされんぱんじょう)

 放射状に並んだものということから、郡上一揆の傘連判状が思い浮かぶ。当地には一揆に加わった村々の署名が入った傘連判状がある。
 何故放射状になっているのかと問うと、大抵は一揆の参加者を平等するためと答える。それは連判状では最初に名前が書かれているものや上部に書かれているものが責任者とされ、処罰されるのを避けるために円形に署名したからだ。特に首謀者(多くは名主)を隠すためでもあると。
 しかし、何か違和感を感じる。首謀者(指導者)が誰であるかはわかっていた。とすると、加わった人々を平等にするためだけで円形に書いたのだろうか。何かそこには、阿弥陀くじの意味と通ずるものがあるのではないだろうか。

○外側から中へ
 ここからは私の仮説であるが、当時の講の席での座り方と傘連判状や阿弥陀くじがつながっていると思われる。当時人々は寄り合いのときに車座になって座った。そうすると中心は真ん中になる。そして、紙を真ん中において署名をすると必然的に放射状になる。これは、物理的な条件であるが、もう一つ精神的な面での理由がある。
 当時、今のような権利としての(法の下での)平等概念があったわけではない。当時の人々の平等は仏の絶対的な平等性であった。阿弥陀の本願は全てのものを分け隔てなく救うという誓願である。仏の世界(浄土)ではどんな人でも小さな存在、その差異なんてちっぽけなもの。そして、仏の前では「 いのち」はすべて平等であるというという絶対の平等観であった。山川草木悉有仏性である。だからこれは仏の本願であり、阿弥陀仏の光はまさに平等の光であった。
 つまり、くじには(身分制の中で)平等であって欲しいという願いがこめられていたわけだ。そして、その決定は仏の思し召し。くつがえされない絶対的なものとされたのであろう。
 傘連判状の外側には名前が、そして中央には決して一揆を抜けない誓いが書かれている。抜けた場合のことも(何をされても文句を言えない)。傘連判状とは一揆に参加した人々の願いが外側から中央へと寄せ集まったものなのだ。また、それは弱い人間であることを見越しての、仏の側からの誓いでもあった。

願力不思議の 信心は
大菩薩心 なりければ
天地にみてる 悪鬼神
みなことごとく おそるなり

南無阿弥陀仏を となふれば
梵王帝釈帰敬す
諸天善神 ことごとく
よるひるつねに まもるなり
        「 現世利益和讃」
     二〇〇八、三
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