行年の意味

「 曽我蕭白行年三十四歳画」

 先日、名古屋のボストン美術館に絵を見にいきました。関から高速バスを使えば1時間ほどで名古屋に着きます。そこで見た「 曽我蕭白の雲竜図」に教えてもらったことを記しておきたいと思います。

 曽我蕭白の実物大の雲龍図は迫力がありました。

その襖の最後に、【 絵と署名】 
「 曽我蕭白行年三十四歳画」
と署名がしてあったのです。

 妻が、「 この人は三十四歳で亡くなったの?」と聞いたので、始めて気がつきました。その署名があることと、行年の意味にです。
 蕭白の享年は五十二です(享年五十二)ので亡くなった年齢ではありません。

 そういえば、以前「 行年」と「 享年」はどう違うのですかと聞かれたことがあります。
 その時は、どちらも同じで、享年は天から享かった年で、行年は行った年齢ですと答えたような気がします。(私はいつも行年を使っています)

 でも、これを見ると、蕭白は「 行年」を修行の年数ととらえていたことがわかります。娑婆での修行の年数であって、行った歳ではないのです。

 これはとても面白い考え方だと思います。娑婆での修行の年数は、もちろん亡くなった時が上限ですが、それよりも、今も修行中であるというとらえ方の面白さです。
 娑婆世界では、修行の身は一人前になることをもって終えます。蕭白さんの場合は、生涯が修行であり、一人前になるのは成仏する時なのでしょう。葛飾北斎も高齢になってやっと絵がうまくなってきたと言ったということを聞いた覚えがあります。

 もう一つ、面白いのがこれらの年数は全て「 数え」であることです。「 数え」は今は使われなくなりましたが、とても大事な思想が二つ込められています。
 一つは、私たちは今現在、娑婆で修行をしていて、その年数は、母親のお腹の中にいたときから始まるということです。十月十日を一歳と数えていたのは、突然娑婆世界に出てきたのではなく、母のお腹の中にいた日数を忘れてはいけないという事です。
 二つ目は、元旦に一切衆生が平等に一斉に歳をとるということです。
月日は百代の過客ですから、個人が中心ではなく月日の方が中心なのです。個人の誕生日が中心ではなく、元旦という年月の方が中心ということです。

 自分の歳を修行の年数と自覚することは、一つの覚悟であると思います。
また、「 享年」は亡くなった後、残った人が天から享けた年数と思い、「 行年」は本人が自身の修行の歳を思うことなのでしょう。

大事なことを気づかせてもらうご縁をいただきました。

    仏暦二五五五年七月

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