雪の俳句…井上井月(せいげつ)
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この四つの俳句は、生活の中の雪を余すところなく述べています。
世の塵を降りかくしけり今朝の雪
用のなき雪のただ降る余寒かな
膳椀の露きるうちや春の雪
菜の花に遠く見ゆるや山の雪
井上井月
初雪は暖かく包み込むように積もります。朝起きると、一面の雪、白と黒だけになった景色。雪は全てのものを平等にしていると感じるのは私だけでしょうか。世の塵…この一言で私たちの世界におきたあらゆるものをやわらかく包みこんでいます。
ところが、そのさわやかな雪も積もり積もってくると厄介なものとなります。特に今年は大雪で、もう3回も雪下ろしをしました。肘はしびれ、心臓は波打ち、セーターの上に塩が浮いています。そうなると、雪はつらいもの、厄介なもの。今夜も物音一つしません。雪が降り積もっているのでしょう。いったいどれだけ降れば気が済むのやら…。
あれだけ高く積もっていた雪も低くなっています。時々降る雪もすぐに融けてしまいます。いつの間にやら春。
田んぼにはレンゲ。畑には菜の花。私を苦しめた雪は何処へ行ってしまったのか。遠く大日岳や白山に積もっている雪が何だか懐かしい。
井上井月は幕末の長岡藩の武士で、江戸に出て、昌平黌(しょうへいこう)に入って首席までとった人でした。ところが、弘化元年上信越に起きた大地震で娘と妻、父母を失いました。江戸に届いた知らせとともに、娘に買い与えた土雛が届きました。
遣るあてもなき雛買ひぬ二月月
慟哭した井月は、武士を捨てて俳句の道に入り、放浪を重ねて最後は信州で野垂れ死に同然で亡くなります。
死の直前に詠んだ句は、
何處やらに鶴の聲きく霞かな
井月はいつも汚れた衣を着ていました。その衣にはたくさんの虱がついていました。
花に身を汚して育つ虱かな
汚れた衣にあって、ともに育つ虱。井月は、自分の汚い着物についた虱も殺しませんでした。
翌日(あす)しらぬ身の楽しみや花に酒
翌日しらぬ日和を花の盛りかな
放浪しながら、伊那の人々に愛され、好きな酒を飲み春の花を愛した井月は、この唯今を懸命に生きた人でした。
私たちがふるさとのことを懐かしく思うとき、それは子どもの頃のふるさとの情景です。でも、懸命に生きた名もなき人のことをふるさとの情景の中に加えると、そのふるさとは浄土に近づいてきます。
そして、初雪の朝を見るとき、雪下ろしをするたび、大日の雪を見るたびに井月のことを思い出し、また我がふるさとに生きてきた人々のことを思い、浄土のありようを感じさせてくださる方・・・仏。
江宮隆之著 『 井上井月伝説』 河出書房新社 より
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