骨だんご

 深い雪に閉ざされ、野外の活動も雪また雪に明け暮れるおらが里。おふくろの食の知恵も底を尽き、もどかしさも手伝ってか、明けくれ味噌鍋とひね漬けのみの簡便な惣菜の日が続く。
 親父は嬶(かか)さの痛みを知ってか知らでか、山兎を捕る為に罠を仕掛ける。実に簡単なもので、細い針金をすこくりにして輪っぱを造り、切った木の枝に結びつけて、ケモノ道の所々方々に差し込んでおくだけである。この様なもので兎がと思うのは素人考え。実に兎捕獲の要を結集した最高の道具なのである。
 一方山兎と言えば冬山なれば食料となる若草も木の実もなく、雪上に顔を覗(のぞ)かせた笹の葉や木の皮を食って生き延びているので、痩せ細ってはいるか、肉に臭昧がなく生で、刺し身で、頭は丸ごと筋肉(すじにく)と共に兎汁にして寒中の食膳に温もりをもたらしてくれた。
 さて、そこまでは獣肉の一般的な料理法であるが、♪「骨まで骨まで、骨まで愛して欲しいのよ」を、地で行くおふくろの天下一品の料理がある。
 栄養学などの学問的なことなど、身 に付けておらないのに、親父が解体し肉の総てをこそげ取った骨を石皿(凹石)の所に運んで来たかと思うと、薪割りの頭の方で、予め用意しておいた生の大豆と混ぜながら、根気よく両者共に叩きつぶしていく。念には念を人れて小一時間も粘状になるまで打ち砕く、おふくろの手には骨片やら豆のかけらがまぶり付くが、そんなことはお構いなしに作業は続く。
 一固まりの骨豆を小さな団子、或いは摘み切って鍋に納め、砂糖・たまり・酒で煮つけ万事終わり、これを骨だんごという。

 これは最近、小洞へ所用で行った折の話である。
 口よごしにと一杯のドブ酒が出された。そして主人のKさんが、
 「先生、珍しい物があるで食ってみなれんか。」
と、誘いをかけて来られた。早春のこの季節、珍しい物といえば、山鳥か山兎の料理の一品だと直感した。
「おりゃハザコ(山椒魚)じゃで、口に入るというもんは何でもはだけ込むたちでなー。」
と、快く受け入れた。Kさんは煤(すす)けた座敷の戸棚から鍋を取り出し、小皿も持参して来られた。鍋の中には数個の団子様の物が煮つけてあった。
 「先生の口にゃ合わまいで、先ず二つじゃな。」
と、小皿に乗せられた。早速何じゃしらんと思って口に入れて一噛み噛んでみた。噛む程に舌の上にざざらっこさと淡い甘味が広がっていく。
 「骨だんごじゃもなー.子どもの頃口にした覚えがあるが、何十年振りじゃろう。」
と、記憶の埓外に去ったものとて容易に想い出せず、まず一個だけ鵜呑みにして腹に納めた。暫く愛想を振りまきながら、心中ままならずともKさんの厚意を受けとめるつもりで、二個目も飲み下して、家を辞した。
 かりそめにも美味いと言えるしろものではない。砂場に餅団子を落とし、砂まみれになっただんごを食う様なもので、兎の骨だんごだというので、口中にするだけで、今時の者なら口に入れるか入れんのに吐き捨てるだろうと思い、我ながら昔もんじゃなー、律儀者じゃなーと回想ひとしきりであった。

 カルシウム、そんなしゃれた知識など、おふくろの料理学にはどこをほじくってみてもなかった。
 「これを食うとなー、骨が丈夫になるんじゃぞよ。」
一つ二つ配膳しながら、懇々と言って聞かせてくれたあの日のおふくろの顔と、あの骨だんごを作ったKさんの奥さんの山家じみた顔とが重なり合って久し振りに懐かしい想いにふけった。
 魚というと頭の骨っぽい所か、尻尾の部分を自分の膳に据え、豊かな身の部分は子ども達に配分して食わせた愛の施し、食い残した骨は、かき集め丼に入れてお茶を注ぎ、
 「これは医者要らずの薬じゃでな、みんなして回し飲みをするんじゃぞよ。」
 そして最後再度お茶を注いでかきまぜて一気に飲み干したおふくろの無限の愛と知恵。骨まで愛された兎や魚、おふくろの手にかかってさぞ本望であろう。

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