鷲見(わしみ)かぶら

 誰が何時此の地に(かぶら)の種を()いたのか、先住山の民か、はたまた源平の戦に敗れた落人(おちうど)達か、先はおぼろに(かす)んで知る(よし)もない。その名を鷲見かぶらという。牛の堆肥(たいひ)で作ったものが一番味が良い。足跡の広さに一粒位がちょうど頃加減に生育する。二百十日芽を切った種が双葉になっておれば万々歳(ばんばんざい)じゃ。永き歳月の中に培われた農事の知恵、本村で地名を(かん)し固有名詞で呼ばれている特産物は過去から現在に至るまで鷲見かぶらしかない。

 鷲見かぶら、それは伝承の山、鷲ヶ岳に源を発した鷲見川沿いの狭小なる山裾(きょうしょう   やますそ)にだけ潤沢に育つ蕪なのである。十一月も中終(なかおわ)り、そろそろお山に雪のかかる頃、一足跡一球(いっそくせきいっきゅう)これ以上もうご免とばかり蕪も葉も畑一面(ひし)めき合っている。蕪は飛騨の赤かぶより大きめで、ふくよかでやわらかく甘味があり、蕪、茎、葉共に漬物用として何処(どこ)の農家でも作られている。いつしか種がちらばって本村でもあちこち作られているが、とてもとても本家本元鷲見で生産されたものには及びもつかない。村外の方でこのことを知ってか特に指定して求められる様で、一昔前大滝橋がまだ木橋の頃、川原さんの馬車荷として揺られて出て行くのを見るのも此の季の風物詩であった。

 用途は勿論漬物用である。その昔、本村が僻陬(へきすう)の地で野の幸、山の幸が副食の主流をなしていた頃、特に冬季の積雪時には鷲見かぶらの漬物が食卓を司る主たる副食であった。先ずは畑から抜き採られたかぶは、山清水(やましみず)の谷川の流れの(きわ)に運ばれ、女房共の手によって虱つぶし宜(しらみ    よろ)しくきれいに洗われ、縁側に敷かれた(むしろ)の上に(うずたか)く積まれてていく。切り刻みはおおまえで女共の手捌(てさばき)きよろしくなされていく。程々にたまると既に漬物部屋に並べた樽にうつされ、家々伝統の塩加減、唐辛子の混入も手際宜しく漬け込まれ重石(おもし)が施されていく。正に青菜に塩、沈み込めばまた漬け足す。次から次へとこの労作が続く。(かさ)もさることながらこの機の女房共の根気は実に特筆物である。二・三日経って(たる)の上場まで落ち着けば、先ずは完了。年間を通して食卓をにぎわす漬物なる故に少人数家族で数樽、大家族になると十数樽も漬け込まれる。ピンからキリまですべて主婦の根気と意地と責任によって管理される。

 漬けた当初に食するものを新漬けといい、薄塩で蕪特有の姿も出ていて、そのままで食したり、又は鍋に味噌を落として引きずり風にして食すれば()くことなく箸が運べる。時は移って春先から初夏にかけて食するものをひね漬けといい、塩分唐辛子が舌に沁み入る程効いて、特有の香気を放ち、家々伝統の味が(かも)し出されておもしろい。これが正に鷲見かぶら本来の姿なのである。そのまま食してもよし。焼いて()がしてもよし、倦く程に水に浸して塩抜きし、油でいため、醤油、砂糖、酒で煮付けるのはおふくろの知恵の凝縮という所か。食後、茶椀に熱い番茶を注ぎ、ひね漬けを一つまみ落として()きまぜると湯茶の熱気に漬ものが緩み、湯に香気と程々の塩味をにじませる。このことを「座頭(ざとう)の吸い物」といって、心ある人にとっては欠かすことのできない食後の作法である。

 そうそう忘れておった。あのひね漬けの重石に耐えかねて浮き上がった漬け汁はジャガイモの煮ころがしのかけがえのない調味料であったということと、他家(よそ)へ行って其処(そこ)の漬けものを()めるなということ、漬けものの味の良否(よしあし)は、すべて主婦の手にかかっているわけで、即ち漬けものを褒めるということは、其処の主婦の行き届いた漬けものの管理、引いては己が身だしなみも漬けもの同様事細(ことこま)かに行き届いていると、婉曲(えんきょく)にSEXまで想像をめぐらした言葉であり、我が嬶を卑(かか  いや)しめた言葉につながるというのである。

 さてさて、ここに改めて鷲見かぶらを今に伝えたご先祖様に感謝の念を捧(おもい  ささ)げ、又明日に伝えんとする里人と、今日もせっせと漬け物部屋通いのおふくろさんに万雷の拍手を送り()い。そして、我が鷲見かぶらよ永遠なれのエールを捧げ度い。

 かぶら漬け 家伝(そら)んず 妻となり

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