「空也上人がいた」

 念仏と遊行と介護

六道の辻

 中学生の時の美術の先生が、仏像や工芸・建築の写真を見せながら解説をしてくれるのが楽しみだった。その中で六波羅蜜寺の空也上人が口から六体の仏を吐き出している(当時はそう感じた)像が印象に残った。
 その時は、えらい坊さんだから口から仏様が出てくるように見えたんだろうなと思っていた。六体の仏は六字の名号だと知ったのは、はるか後のことだった。

 六波羅蜜寺は東山の松原通にある六道の辻(石塔)を通って行くという。東山は昔の鳥辺山があった辺りだから、ここを通って亡がらを送ったのだろう。六道は地獄・ 餓鬼・ 畜生・ 修羅・ 人間・ 天上の六道輪廻の道であるが、死はそれを超えてゆくということを示しているのだろうか。

「 その昔、「 六道の辻」は鳥辺野の無常所の入口にあたり、現世と冥途との境の地であり、亡骸はこの辻の向こう側に捨てられた。貧しい人々は埋められもせず、弔われることもなく放置され、穏亡(オンボウ)たちによって運び捨て去られた。その死せる肉体は風雨に曝され、髑髏(ドクロ)となって六波羅の野辺に転がっていた。」

 その骨を拾い供養したのが空也上人である。

山田太一の小説「空也上人がいた」

 先日、この小説を何気なしに手に取った。そこに描いてあったのは、口から仏を出している姿ではなく、よごれた服とすりへったわらじで小さくつぶやきながら、ともに歩いてくれる空也上人の姿だった。
「 少し顎を上げて、小さく口をひらいて汚れた衣を着て、細い臑を出し、履きつぶしけけの草鞋で、私と歩いていることなど知らん顔で、でも一緒に歩いてくれているのだった。なんだか救われたような、ありがたいような気持ちで私は車椅子を押し続けた。」
 車椅子の老人が、主人公の介護の青年に京都に行って空也上人像を見てくるという依頼をする。この依頼の意味は、主人公にとっての意味と、作者にとっての意味が、そして読者にとっての意味が交差することで深まってくる。

 この小説のテーマにひとつに「 介護の問題」がある。老老介護をしている奥さんが、情けないんやでと話された。
「 あんたは誰だったや。」
と連れ合いが話す。さらに、奥さんの名前を呼びながら本人の前で、
「 〜子がいない。」
と言うんやでと、悲しそうな顔で語られた。

 息子が介護施設に勤めていた。夜勤で下の世話をすることなど、その仕事の大変さは聞いていた。この小説は介護を美談として扱ってはいない。介護現場での大変さや入所者との心の葛藤を、主人公の青年が施設を辞めるエピソードに描いている。

 自分の老いを見つめざるを得ない。老いを見つめ老いとともに生きるということは、介護をされ、痴呆になって生きていく自分自身を想像することである。  それだけではない。親や連れ合いの介護をさけて通ることはできない。さらに、一人取り残される孤独もある。いっそ痴呆になれば幸せかなと思う。

 しかし、これだけだとお先真っ暗。実はこの小説には、もう一つのテーマがある。それは、「 十九歳違いの恋」である。女性の方が年上なのだが、これが小説に花を添えている。そこに描かれるセックスは、切ないだけにエロスが強調され、またそれは生と死の両面をも示している。エロスも老いと孤独の一部なのだ。

空也上人の念仏

 この「 念仏像」は、口から仏が出てくるということを表わしているのではない。口から出てくるのは念仏であり、念仏の声(音)は仏であるということを表わしているのだ。
 阿弥陀仏は念仏となった仏であり、念仏そのものが仏なのだ。そして、念仏とともに空也上人も南無阿弥陀仏も私と一緒に歩いている。南無阿弥陀仏がともに歩んでいる。遊行とはともに歩むことである。

    仏暦二五五四年八月
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