老いへの恐れ

養生訓と徒然草

貝原益軒の養生訓に

『 長生きすれば、楽しみ多く益多し。
日々にいまだ知らざる事をしり、
月々にいまだ能くせざる事をよくす。
この故に学問の長進することも、
知識の明達なることも、長生きせざれば得がたし。』
と書いてあります。
益軒は、天地の「 生物」の働きを知ることは、よりよく( 楽しく)生きるために必要であり、 「 民生日用」に有益な「 物理の学」「 博物の学」こそ学問であると考えていました。 そして、出版ジャーナリズムと手を携えて、著書を次々と刊行しました。
そのためには、実用の知識を求める声に応えるためには、平易な和文体で書かなければなりません。

長生きの目的が、今までの目的と異なっているのです。
日々いまだ知らざる事を知ることは実感としてわかります。
では、今まで気がつかなかったことに気がつくことは、どうして起こるのでしょうか。

それは「 意味」です。
私たちの日々の経験の中に意味を見出す努力が大事なことなのです。つまり、私たちの経験には意味があるといつも考えること。
ただ、私たちはそれを無意識のうちにしてしまう傾向を持っています。

吉田兼好の徒然草
『 あかず惜しいと思わば、千年を過ぐすとも、一夜の夢の心地こそせめ、住み果てぬ世に、醜き姿を待ち得て何かわせむ。 命長ければ恥多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なむこそめやすかるべけれ。』
この文章と貝原益軒の文章を比べてみましょう。

兼好のもののあわれが、人間の寿命の限りがあるということからきているので、あわれを目的にする限り、四十に足らずほどにてとなるのです。

それに対して、益軒は、その実学から長生きの目的がすでに異なっています。 王朝的な趣味と百姓の実用的な生き方の違いと言ってもいいのではないでしょうか。 もちろん時代の平均年齢が異なっていることも考慮しなければなりませんが、学問のとらえ方がまったく異なっていることもその理由です。

『 「 痴呆老人」は何を見ているか』  大井玄 著 より

鎌倉時代や江戸時代ではなく、現代ではどうでしょうか。
現代では、歳をとることの中に「 痴呆」になるのではないかという恐れがあるのです。

では、「 痴呆」になることの恐怖は、どこから起こるのでしょうか?
それは、「 我を我だ」と思っているところから起こります。
「 我」が無くなることが恐ろしいからです。

「 我は我だ」とは我に執着することであり、
「 我に執着する」とは、自我の「 貪瞋痴を三毒( 三塗)」に縛られていることをいいます。

貪( とん)とはむさぼりで、どこまでも所有をもって我を満たしていこうとすること、
瞋( じん)は我の所有を奪おうとする他者への怒り、
痴( ち)はその状態に気づかないこと、つまり無明です。

無常・無我の思想は、この貪瞋痴( 三塗)の黒暗( 無明)を開きます。
私( 我)というものが、様々なつながりの中で立ち現われてくるということがわかれば、私というものが実態があるものではないということも自覚できます。
また、記憶が無くなれば、我と思っていたものが、無くなることもわかります。

つまり、「 我」はもともと存在しないのです。
存在しないものが、つながりの中で現れて、やがてそのつながりがだんだん消えていくのですから、恐れるものは無かったということになります。

それは、ちょうど子どもが玩具で夢中になって遊んだ後、その作り上げたものをまた壊すようなものです。
考えてみると、子どもは遊びの中で様々なつながりをつくりだし、 そのつながりが子どもの自我をつくりだしています。 その過程の逆をたどるのが無我です。

でも、本来無我だったものが、どうして我を持ったのでしょうか。 このような自我ができてきたということの意味、それは私たちがこの世界に生を受けてきたことの意味です。 私は、この二つの大事なことを自覚する必要があると思っています。
一つは、この我はそのつながりの中で生きているということの自覚。 もう一つは、この我が、形を成し名乗りを上げて存在してきた意味です。

この両方を仏法では無常・無我と言い、常楽我浄と言ってきました。でも、それはあまりにも難しい。
ですから、私たちの先祖は、いつも浄土を考えてきました。
「 私たちはやがて忘れ去られてしまうかもしれないけれど、お浄土にちゃんといるよ。」
「 今は惚けてしまったけれど、惚けていなかった私はお浄土にちゃんといるよ。」
と。

    仏暦二五五五年十月

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