応報(べし)考

   恩徳讃について

一、まさに知るべし

「 応知故郷事」:
「 応(まさ)に故郷の事を知るべし。」
 故郷のことをきっと知っているに違いない。
  雑詩/王維
君自故郷来
応知故郷事
来日綺窓前
寒梅著花未

君、故郷より来る
まさに故郷の事を知るべし
来日 綺窓の前
寒梅は 花を花をつけしや 未だしや

君は故郷からやって来られた。
君は故郷の事をご存知のはず。
来るとき、妻の飾り窓のある部屋の前の、
寒梅は、もう花をつけていただろうか。
正信偈の中にこの再読文字「 応」という字がある。
応報大悲弘誓恩
まさに大悲の弘誓の恩を報ずべし
王維の漢詩の意味から類推すると、
 ・報ずるはずだ。⇒報ずるようになるはずだ。
 ・報ずるに違いない。
というような意味となる。
もう一つ考えられる意味が、
 ・報ずるようになるだろう。

現代では、私たちは「 べし」を「 〜しなければならない」と取る。
しかし、この様に漢文で使われる「 べし」には、強制の意味は見当たらない。 「 自ずとそうなる」又は、「 将来そうなる」というまさに他力的な意味で使われている。

二、恩徳讃の「 べし」

先月、飛騨の高山別院へ伺った折に、法話をされた御講師が恩徳讃の 「 奉ずべし」の「 べし」は「 〜しなければならない」という必要・義務でなく、推定・予想ではないかと語られた。

古語辞典を見ると、「 べし」の
一番目に、それが当然であると推定、または予想される意。「 きっと〜にちがいない。きっと〜だろう。」と書いてあり、
二番目に、「 〜するはずだ。ぜひとも〜しなければならない。」という必要・義務があると推定する意と書いてあった。
三番目は、適当「 〜するのが良い。」
四番目は、勧誘・命令「 〜するのが良いよ。〜しなさい。」
五番目が、決意「 ぜひとも〜しよう。きっと〜しよう。」

これだけ違うと、どれだろうか迷う。
この順番は、当時一番使われていた意味というのではないらしい。

恩徳讃は御開山の和讃であって、正像末和讃の最後の方にある。

三朝浄土の大師等
 哀愍摂受したまひて
 真実信心すすめしめ
 定聚のくらゐにいれしめよ
「 しめ」尊敬を含んだ命令「 〜していただきたい。」

他力の信心うるひとを
 うやまひおほきによろこべば
 すなはちわが親友ぞと
 教主世尊はほめたまふ

如来大悲の恩徳は
 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も
 ほねをくだきても謝すべし

   以上正像末法和讃
私は、今までこの和讃は、
「 如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報いなければならない。
  師主知識の恩徳も、骨を砕いても感謝しなければならない。」
と思っていた。

さらに和讃で「 べし」が使われている所を抜き出してみる。

三、和讃の「 べし」

弥陀の本願信ずべし
 本願信ずるひとはみな
 摂取不捨の利益にて
 無上覚をばさとるなり

末法第五の五百年
 この世の一切有情の
 如来の悲願を信ぜずは
 出離その期はなかるべし・・・ (一)

五十六億七千万
 弥勒菩薩はとしをへん
 まことの信心うるひとは
 このたびさとりをひらくべし・・・ (一)

念仏往生の願により
 等正覚にいたるひと
 すなはち弥勒におなじくて
 大般涅槃をさとるべし・・・ (一)

造悪このむわが弟子の
 邪見放逸さかりにて
 末世にわが法破すべしと・・・ (一)

十方無量の諸仏の
 証誠護念のみことにて
 自力の大菩提心の
 かなはぬほどはしりぬべし・・・ (一)

弥陀大悲の誓願を
 ふかく信ぜんひとはみな
 ねてもさめてもへだてなく
 南無阿弥陀仏をとなふべし

信心のひとにおとらじと
 疑心自力の行者も
 如来大悲の恩をしり
 称名念仏はげむべし

仏智うたがふつみふかし
 この心おもひしるならば
 くゆるこころをむねとして
 仏智の不思議をたのむべし

他力の信をえんひとは
 仏恩報ぜんためにとて
 如来二種の回向を
 十方にひとしくひろむべし

上宮皇子方便し
 和国の有情をあはれみて
 如来の悲願を弘宣せり
 慶喜奉讃せしむべし・・・ (一)

「 自然」といふは、もとよりしからしむるといふことばなり。弥陀仏の御ちかひの、 もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて、 むかへんとはからはせたまひたるによりて、行者のよからんともあしからんともおもはぬを、 自然とは申すぞとききて候ふ。
ちかひのやうは、無上仏にならしめんと誓ひたまへるなり。
無上仏と申すは、かたちもなくまします。かたちもましまさぬゆゑに、自然とは申すなり。
かたちましますとしめすときは、無上涅槃とは申さず。かたちもましまさぬやうをしらせんとて、 はじめに弥陀仏とぞききならひて候ふ。弥陀仏は自然のやうをしらせんれうなり。
この道理をこころえつるのちには、この自然のことは、つねにさたすべきにはあらざるなり。
つねに自然をさたせば、義なきを義とすといふことは、なほ義のあるべし。・・・(一)

 ・・・ (一)と書いたところは、主語から、それが当然であると推定、または予想される意。  「 きっと〜にちがいない。きっと〜だろう。」であると考えるのが自然であろう。
 私たちは現代語から「 べし」=Mustととらえてしまうが、これらの例は、 きっとそうなるという自然な流れを想定している。他力思想からすると当然である。 もっと言えば、「 自然とそうなるはずだ」という必然を含んでいるのではないだろうか。
 問題はそれ以外である。「 当然推定」とも取れるし、「 勧誘命令」とも取れる。 しかし、「 〜しなければならない」( 命令)というのは、 私たちの生活の中の命令系統が示している自力の思想である。
 古語辞典をみると、現代のような強い意味の命令はない。 義務であり、勧誘であり、決意である。 したがって、いずれにしても現代語のもつ「 べし」の強い意味は無いと言い切ってもよいのではないだろうか。

四、酒を飲むべからず

法然上人の「 百四十五箇条問答」には
 酒飲むは罪にて候か。
 答う。まことには飲むべくもなけれども、この世の習い。

 本当は飲むべきではありませんが、世間の習慣です。
と現代語訳されるが、この「 べく」については、先ほどの辞書によると以下のように考えられる。

( 一)きっと飲んでしまうだろうと思うことはいけないけれども、
( 二)決して飲まないはずだが、
( 三)飲んでしまわない方がいいけれど、
( 四)決して飲んではいけないけれど、
( 五)ぜひとも飲まないようにしようと思うけれど、

とかなりニュアンスが異なってくる。
私たちは「 べき」を「 してはいけない」ととらえるが、もっと内面的なニュアンスがあるように感じる。

一方、一休さんの「 この橋渡るべからず」は強い禁止である。

五、仏恩を報ずる

仏世甚難値 人有信慧難
遇聞希有法 斯復最為難
自信教人信 難中転更難
大悲普化 真成報仏恩
これを親鸞さんは次のように読んでいる。
「仏世はなはだ値ひがたし。 人、信慧あること難し。
たまたま希有の法を聞くこと、 これまたもつとも難しとす。
みづから信じ、人を教へて信ぜしむること、 難きがなかにうたたまた難し。
大悲弘くあまねく化する。 まことに仏恩を報ずるになる
この四句目の主語は、大悲である。 一方、原文の「往生礼讃偈」では
自信教人信 難中転更難
大悲普化 真成報仏恩

みづから信じ人を教へて信ぜしむること、難きがなかにうたたさらに難し。
大悲をもつて伝へてあまねく化するは、まことに仏恩を報ずるになる。
主語は私である。
この違いは大きい。
報仏恩とはこういうことなのだ。

六、恩徳讃の二番

恩徳讃には二番があったことを初めて知った。
古い曲は、一九一八年( 大正七)に発表された。
作曲は浄土真宗本願寺派ハワイ開教区沢康雄氏。
如来大悲の恩徳は
 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も
 ほねをくだきても謝すべし

多生曠劫この世まで
 あはれみかぶれるこの身なり
 一心帰命たえずして
 奉讃ひまなくこのむべし
一番目は正像末法和讃の最後
二番目は聖徳奉讃にある。
恩徳讃との新たな出会いであった。


    仏暦二五五七年四月

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