準備はできましたか

 もちろん死ぬ準備のことです。
「 縁起でもない」と思われるかもしれませんが、死ぬ準備をした人だけがしっかり生きることができるのです。

1、一人で住んでいるおばあさん
「 今になってみると、私がこの家に来たのは仏様を守るためだと思う。四時にお経を読んでいる。そのとき三つ座布団を用意する。一つは自分の、後の二つは亡くなったお父さんとおばあさんに座ってもらうため。」
 かって賑わしかったこの家に、今住んでいるのはたった一人。子どもたちの声が響いたこの家に、今響くのはテレビの声だけ。さびしくないですかと尋ねると、
「 ちっともさみしゅうない。みんながいるで。」

2、死ぬ準備とはしっかり生きること
 《 生》
@自分史を書くA大切な人にメッセージを書くB余命を仮に設定して別れの手紙を書く
 《 老》
@老いと上手に付き合うために(おしゃれ・ 旅行・ 恋愛・ 社会参加など)Aこんな所で暮らしたい B生命保険・年金の内容と保管C後見人を決めるD相続(家系図を書く)を決めるE遺言を書く
 《 病》
@マイカルテを書くA告知と意思表明B最後のレッスン
 《 死》
@自分の死について書くA自分の葬儀をどうするかB宗教をどうするCお墓はどうする

3、でも、自分史なんか書きたくない。
  ろくでもない人生だったから。毎日、洗濯・掃除・料理に明け暮れた人生だった。
 ○ボケた自分は私だろうか。・・・ボケながら生きていく。
 ○自分の死は考えることができない・・・では生はあるのか
 ○キューブラー・ロス・・・臨死体験に興味がある

4、キューブラー・ロスの晩年の話
 『 死ぬ瞬間と死後の生』を書いた彼女は、晩年身体が不自由になり時々たずねてくるヘルパーの世話になりながら『 最後のレッスン』という本を書いた。多くの人の死を温かくみとってきたキューブラー・ロスは、晩年62歳のとき脳卒中に倒れ、半身不随となり、長く苦しい晩年に向き合うことになる。多くの人を救ってきたはずのキューブラー・ロスは、思いもよらない自らの「終末」に怒り、苦しんだ。「 私は神に、あなたはヒトラーだ、と呼びかけた。でも神は、ただ笑っていた。」2001年の夏、彼女はインタビューに答え、語っている。
 晩年の様子をテレビで放映しているのを見たが、彼女はかなりわがままだった。ありのままの自分を出していたといってもいい。若かりし頃に書いた本の中の死に行く子どもたちとは大違いだった。
「 もうこんな生活はたくさんよ。愛なんて、もううんざり。よく言ったもんだわ」
「 聖人? よしてよ、ヘドが出る」
『 そして孤独でだれにも会いたがらず、夜になって鳴き声の聞こえてくるコヨーテや鳥だけが友人、と語っています。インタビュアーが、あなたは長い間精神分析を受けたので、それが役立っているだろうに、と問いかけると、精神分析は時間と金の無駄であった、とにべもない返答がかえってくる。彼女の言葉は激しい。自分の仕事、名声、たくさん届けられるファン・レター、そんなのは何の意味もない。今、何もできずにいる自分など一銭の価値もない、と言うのだ。』   (河合隼雄「 平成おとぎ話」)
 死は誰にでも訪れるものだから恐れなくてもよい、と他人を励ましてきた人が、自分の死に対してはとてもそうはいかなかった。しかし、私にはこちらのキューブラ・ロスの方がはるかに好感が持てる。心安らかに死を待っている老人よりも、自分の今までの活動に対して無意味だったと言い切っているロスばあさんに。

5、若かりし彼女が考えた死を受け入れる段階
  第一段階:「 否認と孤立」
  第二段階:「 怒り」
  第三段階:「 取り引き」
  第四段階:「 抑鬱」
  第五段階:「 受容」
 必ずこういう段階を通るということはいえないかもしれないけど、かなり納得ができる。
 これは、「 死」だけでなく、自分自身の境遇にも当てはまるのではないだろうか。自分の境遇を嘆く人は同じような段階をたどって、それまでの人生を一度死ぬのではないかと思う。

6、私たちの仏は、一切を許し、全ての人を見捨てない仏である
 この生き難い娑婆で一生懸命に生きてきた私を決して見捨てないのが私たちの仏。だから仏には甘えても良い。 最後の時に、
「 長いことお世話になった。先に参らせてもらうよ。」
「 そんなことを言わずにもっと長生きして。」
私たちの仏は、何とおっしゃるでしょうか。
「 よう頑張ってきたね。一生懸命に生きてきたね。心配さっせるな。後は任せておきなれ。」

7、煩悩があるから救われる
「 久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだむまれざる安養の浄土はこひしからずさふらふこと、まことに、よくよく煩悩の興盛にさふらふにこそ。なごりおしくおもへども、娑婆の縁つきて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまいるべきなり。いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあはれみたまふなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じさふらへ。踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまいりたくさふらはんには、煩悩のなきやらんと、あやしくさふらひなまし」と云々
                 歎異抄 第九条

     二〇〇七、五
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