死者との対話

お迎え現象その後

永代経の法話で、「 お迎え現象」の話が一番反響が大きかった。
昼食の時間に、何人もの方が、ご自分の体験を話しにみえた。

その話を分類すると、
一つは、子どもが亡くなった方を自然に見るという現象。
もう一つは、夢で亡くなった方と話をするという現象。

子どもが「 そこにおばあさんがいる」とか、
「 今おじいさんがそこを通り過ぎたよ。」といったという話はよく聞く。
ただこれも、子どもならすべて見るというわけではなく、
やはりそういう能力のある子に限られる。

今日の話は、仏間で孫が誰かと話をしていたので、
誰と話していたの?と聞いたら、
「 おじいちゃんと話をしていた。」
と答えたという話をされた。

亡くなる直前の人が見る現象を「 お迎え現象」というのだが、
子どもが見えるのはなぜなのだろうか?
年齢的には六歳から十歳まで。
昔から「 七歳までは神のうち」といっていた。
死を前にした人だけでなく、この頃の子どもにも見えるのかもしれない。

丁度この頃、子どもは死の体験をする。
それは、私は孤独であるという自覚の体験である。
それはまさに、死の体験と言っても良いのではないだろうか。
子どもと老人は「 この世」と「 あの世」の境に居るのだろう。


もう一つの、夢枕の話し。
これは二つあって、亡くなる前に尋ねてくるという話しと、
亡くなった人が出てきて、まだこちらに来るなと言われるという話。

亡くなる直前に出てくるというのは、予知的な夢であろう。
特に血縁関係が強い人に出てくる現象である。
夢で「 迎えに来た」と息子に言われたら、その三日後に息子さんが亡くなったという。
これは、お迎え現象とは逆である。

もう一つの、夢で度々亡くなった人と会話をするという方は、
霊能力の高い方であろう。
心配事があると、必ず亡くなった夫が出てきて、相談にのってくれると言われた。
まさに死者との対話である。
それは、夜中の三時ごろと言われた。
そして、その記憶ははっきりとしている。
「 私がこういうことが心配だというと、大丈夫だからと言ってくれます。」
と話してくれた。

ただ、困ったことがあって、よく亡くなった人にとりつかれると言われた。
墓を見てその人のことを考えたりした時に、取りつかれることがあるという。とりつかれると、心が苦しくなり、背中に重いものを背負っているような感覚がするという。感受性がとても鋭いのである。
「 そういう時は、どうやって解決しているのですか?」と聞くと、
亡くなった方が、何か訴えているのでその話を聞いて対処している。
もちろん念仏を欠かさずに。
すると、一週間から一ヶ月で楽になると言われた。
しかも、最近ではとりつかれないようにする技もわかってきたらしい。

私は、遺族に亡くなった方との対話をよくすすめる。
それは、心の中であったり、折に触れての言葉がけである。
しかし、このように直接対話している人がいたとは驚いている。
また、クローズアップ現代のお迎え現象のTVを見ていた人が多くいたのも驚きだった。


    仏暦二五五五年九月

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