「朴葉めし」
新緑も一段と色を深くし、早苗植える農夫の
手捌きも軽やかな春半ば、子ども達は山に走って背の低い一本立ちの
朴の木を幹ごと折って、持参の
肥後の守(小刀)で風車を作る。一昔前、年事に見られた春の風物詩であった。
大いなる自然、その中に入り浸って来たふるさと人、生活のすべてを季節に連動させ、次から次へと生活の知恵として生み出してきた。

さて、朴葉は
青・枯共に里人にとっては食生活に欠くことのできない天の恵みであった。即ち食器代用或いは包装用具として、年がら年中利用されていた。往時、家族は夫々
箱膳なるものを持ち、その中に主要なる四つの食器、飯椀、汁椀、テシ(手塩皿)、
箸である。テシに乗り切らない物や、生臭い魚などは決まって朴葉が使い捨ての重宝な器物として代用された。

特に春の季の生朴葉は、その広大さと仄かな特有の香りが
賞でられて、
強飯・ごもく飯・ちらし寿し等々の
炊き立ての飯を熱い中に包み込み、その香を移して日頃の貧しい食膳に、たまさかの新風を吹き込んでくれたものである。自然の恵みをよろこび、時には味覚にまで移して命を養う、この点、朴葉めしは家族の台所を
預かった、あの日のおふくろの細やかな知恵の置き土産である。