おふくろの味(5)

「地味噌(ひきずり)/木っ端味噌/朴葉(こ  ぱみそ ほうば)味噌)」


 昭和年代中頃まで本村では味噌は各家庭共(ほとん)ど自家で醸造していた。依って味噌といえば自家製のもののことであり、商家で販売している味噌のことを「買い味噌」といって判然と区別していた。
 でも、今日では農家でも自家で生産しなくなり、スーパーなどで「郡上地味噌」などのレッテルで販売しているものを(あがな)うようになった。要するに地味噌まがいの買い味噌に依存しているわけである。
 昔は”糟糠(そうこう)の妻”などと言われた程、おふくろ達は台所生活の主流をなす味噌、漬け物には、殊のほか喧(こと      やかま)しかったが、今のオカッツァマ達は、たゞ口に合う合わない、また醸造先のレッテルで評価しているだけの様な気がする。豊かさがもたらした合理主義的な思考の産物であろうか。昔は明けても暮れても菜といえば、味噌また味噌の連続であったような思いがする。

   ・ひきずり
 さてひきずりというと何やらすき焼きを連想するが、本村では煮味噌の別名である。農事の多忙な時には、おふくろは“きっぱずけのねぶか味噌”よろしく、平鍋に地味噌を入れて溶かし、季節の野菜山菜を切り刻んでざるに盛り、投げ込み投げ込み、家族全員で煮えるきっぱから上げては食う味噌菜のことである。
 野菜のない時は漬け物・豆腐・こんにゃく・肉・身欠き鰊・煮干し、(まれ)には生玉子まで投げ入れて食う誠に簡単な野趣的な料理である。特に早春の“あさずけ”と(せり)。初冬の鷲見かぶらの新漬けは、季節感が溢れて抜群であった。
 朝餉(あさげ)に始まり、昼餉も“こびり”も夕食も引きずり引き継いでお菜とする。味が薄くなれば味噌を足し、水分が不足すればお菜や酒を注ぎ込み鍋を掛けるだけで誰にでもできる手軽な料理。そして、いろいろな残存の味がミックスされて美味しさも倍加していった。
 何れにしてもおふくろの(ぬく)もりが体中に満ちて来る家族和楽(かぞくわらく)の料理であり、味噌料理の決定版でもある。

   ・木っ端味噌
 こっぱとは、手斧や鉞(ちょな まさかり)で原木をはつった時に出来る木の屑のことである。昔は建築材・鉄道の枕木などすべて手斧や鉞で手間暇かけて製品にされていった。農と山稼ぎの生活の明け暮れ、その様な時の流れの中に登場したのがこっぱ味噌(・ ・ ・ ・ ・)である。
 木材の材質は檜・栗・楢(ひのき・くり・なら)などの木の香の高いものが適しており、伐り倒してから、そんなに日の経たない木材の製品途中に飛び散った木っ端の中から舟形状のものを選り出し、地味噌を満載して、山では焚き火、家ではいろりの燠(た             おき)を拡げてその上に置き、木っ端ごと焼く味噌のことである。
 木っ端は味噌が載っているので容易に燃え切らず、いつしか味噌に木の香と樹脂が乗り移って独特の焼き味噌が出来上がる。家族一人ひとりの持ち舟、火の海からてんでてんでに引き寄せて菜とする。更け行く秋の夜、楽しい会話が飛び交っていた。おふくろの知恵によって生まれた木っ端物語。

   ・朴葉(ほおば)味噌
 貧しかった一昔前の語り草が次から次へと失われていく中、おふくろが暮らしの中に残してくれた明治・大正の(ほの)かな香りが、まだ其処此処彼処(そこここかしこ)(ただよ)っている。秋ぐれになるとおふくろは本当に忙しかった。親父は家をあけての出稼ぎ、後はおふくろが一家の柱となって冬越しの準備、そして雪深い山村の越冬。

  ♪ しずかなしずかな里の秋
    お背戸(せど)に木の実が落ちる夜は
    あゝ母さんとただ二人
    栗の実煮てますいろりばた

再びかえり来ない此の風景、懐かしの愛唱歌。

   朴葉散る
      昭和も遠く
        なりにけり

という所か。おふくろの残してくれたものに朴葉味噌がある。
 朴葉というと昔は年がら年中、食器の代用として、また包装の用具として食生活上欠くことのできない存在として、家々では朴葉拾いの日が設定されていた。枯れた朴葉にねぶかをたっぷりと刻み込んだ地味噌を載せていろりの(おき)の上や焜炉(こんろ)で焼いて食うのが朴葉味噌である。一人ひとりの朴葉味噌、又、山程盛られた家族ぐるみの仲間味噌、食べ終わった朴葉はいろりに投げ込まれて淡い煙となって消えていった。

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