釈尊はなぜ出家したのか

 世間を相対化する浄土の働き

一、儒教と仏教

 学生時代に島田虔次(けんじ)先生の講演を聞いたことがある。二時間ほどの講座のようなもので、先生は風呂敷包みに入れたたくさんの資料を広げながらも、それをほとんど見ずに語られた。
 内容は宋学で、感銘を受けてすぐにその著書『朱子学と陽明学』を買った。今ではその講座の内容をほとんど覚えていないが、一つだけ記憶に残っていることがある。
 それは、「 修身斉家治国平天下」の説明であった。儒教の目標は「 修身」ではなかった。
古(いにしえ)の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治む。その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斉(ととの)う。その家を斉えんと欲する者は、先ずその身を修む。その身を修めんと欲する者は、先ずその心を正す。その心を正さんと欲する者は、先ずその意を誠にす。
                     「 朱子学と陽明学」より
 身を修めることで家を斉え、そして国を治め、天下を平らにする。儒教は政治をも内にふくんでいた。
 韓愈は、
 「 仏教は心を治めんと欲して天下国家を外にし、子でありながらその父を父とせず、臣でありながらその君と君とせず、民でありながらその仕事をしない。」
と批判した。

 当時、「 得度」をする前後で、仏教の「 出家」ということが世間を捨てることであると考えていたから、この批判は私を混乱させた。

 儒教も現世(世間)を濁った世界ととらえる。しかし、人間を人と人の間にある存在として、その関係を古の聖人の行動に規定する。そして、人と人との関係の中に行動の規範を確立する極めて現実的で実践的な教えだ。

 ところが、出家というのは世間から出ることである。世間から出て世間で生きる人の苦しみを解決できるのか。当時、政治に興味があった私は、釈迦の出家は世の中に背を向けるものとしか考えられなかった。
 しかも、西行法師が出家を決意した時に、まとわりつく幼いわが子を蹴落として家を出たという話を聞いた。出家とは自身の解脱や救済のためなのか。一切の衆生の幸せを願う大乗の教えと乖離しているのではないか。(これは、後からもっと大きな慈悲ということに思い至ったが)

【問い】 では、釈尊はなぜ出家をしたのだろうか。

二、出世間の道

 釈迦は王子であった。もし経済的・政治的に人間の「 地獄・餓鬼・畜生」の状態を解決することが可能であるならば、釈迦は出家をしなかったはずである。
 様々な矛盾・問題を、政治的・経済的には解決ができないと見切ったからこそ出家したのだ(四門遊出)。また、強国に囲まれた弱小の釈迦族が生き残る道は、政治的なものでは決してありえなかった。
 釈迦の目的は人類の救いにあった。

 さらに、インドにおけるカースト制の下の身分差別は、現在の私たちや、農民出身の者が皇帝となることもある中国における身分差別よりもはるかに厳しいものであったと推察される。

 いずれにしても、世の快楽と生死の苦しみ、そこから自由になること、世間の束縛から自由になり、真実の人間のあり様を求める道は出家しかなかった。それは、世俗の仕事をしながらできるようなことではなかった。
 
 社会(世間)の中にいて社会(世間)を客観的に見ること(相対化すること)は難しい。なぜなら、自分のいる社会(世間)が当たり前と思い、別の観点から見ることができない。だから、外国へ行ったりして、別の社会(世間)を見てこいというのだろう。

 さらに、煩悩は世間と己との関係の中から生まれる。だから、自分の煩悩(貪瞋痴)に気がつくのは世間を相対化した人だけだ。自分自身を厳しく見つめることも世間にいては難しい。
 世間は厳しいという。しかし、その厳しさは本当の自分を見いだすための厳しさではない。

 かくして釈迦は、国を捨て、民を捨て、地位を捨て、家族を捨てて、全ての人が救われる道を求め、出家して厳しい修行に入った。そして成道して仏陀となる。
 それ以後、釈尊の弟子は出家して道を求めることを倣いとしてきた。

【問い】 では、現代の僧侶は出家(出世間)をしているのだろうか。

三、在家仏教

 実はそれは出世間ではない。現に出家と言わずに得度という。私たち僧侶は家庭を持ち、職業を持って世間の中で生きている。それは、浄土宗の建立から始まる。

 法然さんや親鸞さんは在家(出家の反対語)のための仏教を立てられた。「 いしつぶてかわらのごとくなるわれら」のための仏教として、念仏を選び取り、日々のたつきを得る為にあくせく生きている人々のための新しい仏教を立てられた。
 それは一人の人間の救いではなく全ての人を救うという道であった。出家して厳しい修行をするのではなく、日々の生活の中で、世間を相対化し、自分をも相対化していく在家のための仏教の道であった。

【問い】 では、出家(出世間)せずに、どうやって世間を相対的に見ることができるのだろうか。

四、俗世間を相対化してくれる浄土

 世間の中にいて世間を相対的に見る方法は、世間と全く異なっている世界=浄土を建立することである。観無量寿経は、そういう浄土を見る(知る)ことから始めている。浄土は、世間を相対化してより広い世界を見つめさせる。
 さらに、浄土は縁起論に合致している。関係性の中で生きている私たちが、世間の関係性の中で己自身を見つめることは困難である。
 現に、頭の中でこうしてはいけないと規定したからと言って、変わらない。それは、世間にいるからである。環境が変われば、と考えたことのある人は数多くいるであろう。その環境を浄土で見直そうというのだ。

 世間の中で生きていきながら、仏道を求めていく道は、浄土を求める道であった。そして、それは世間を厳しく見つめるだけでなく、己自身をも厳しく見つめる道である。
 浄土は世間から逃れ、そこに安住するための世界ではない。浄土を求めることは、出家をしなくても俗世間を相対化し、自分の有り様を見い出すことができるもう一つの出世間の方法である。

 では、世間にありながら浄土を建立していく道とは、どのような道なのだろうか。それは四十八願が示している。
 そこには世間での体制規範や価値体系を虚妄と見抜き、それを拒否し批判しつつ生きていく道が示されている。

 具体的には、妙好人の生き方がそれを示している。ところが、妙好人の話をすると、多くの人がその行動を理解できないと言う。世間とあまりにも乖離しているからなのだろう。
 しかし、このことは逆に出世間の意味を明らかにしている。妙好人は出世間をしている世俗の人なのだ。

【問い】 浄土への道を求めるだけで、世俗の生活(苦しみや喜び)をそのままにしておいて良いものだろうか。

五、浄土から俗世間への道(還相)

 その答えが往相と還相である。俗世間から浄土への道が往相であり、浄土から俗世間への道が還相である。
 浄土を建立できた人は、悟りを開いた釈尊が、再び世間に帰ってきて、僧迦を開き、教えを伝え広めたように、俗世間へ還相し、俗世間の中で生きていく。
 その道も四十八願が示してくれている。

    仏暦二五五四年二月

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