高たかまんま

 秋の農家はそれこそ猫の手も借りたいほど多忙を極める。 急いで掛けた稲架(はざ)が風雨にさらされて崩れ倒れると、牡丹餅(ぼたもち)ものだと言って 再度の稲架け架けもなんのその、農事総てを善意に占って締めくくった。

 十一月も後半ば秋の取り入れも一段落すると、夫々の集落の各寺院では親鸞聖人の「報恩講(ほうおんこう)」が 執行されるし、各家庭でもお取越(とりこし)しや法事が営まれる。

 米の飯が何よりのごっつおであった往時、この営みだけは決まって混じりっ気のない米飯「高たかまんま」のお振る舞いであった。この時とばかり老若男女一家挙って寺詣(てらまい)りをし、お(とき)についた。

 大きななべ(ハソリ)で炊かれた米飯は当番の主婦たちの手で、大きな飯椀にモッソウという曲げ物を使って高々と盛り上げられていく。昭和の初めまでは一幅が三合であったが、段々年が経つにつれて二合五勺、そして二合と(かさ)が少なく高さも低くなっていった。何はともあれ白い飯がごっつおであったので、一人ひとりに配られた一幅三合のまんまなど、さして苦もなく胃袋に収められた。副食は汁物の「じんだ」か豆腐汁であったが、これもごっつお、お代わりを繰り返しながら飲み込まれていった。

 後は香の物とお茶に茶菓子、茶菓子といっても炒り豆、はぜきびを主に雑柿(ざつがき)を四つに切って干した柿、干栗の混ざったものがお椀の蓋に一杯だけ配られた。

   ()の上を わたる手桶(ておけ)の お講汁     ひげと

 一方、在家の法事の振る舞いは酒の宴として、白飯は勿論のこと山の幸、海の幸がふんだんに膳に盛り付けられていた。この法事を営むに当たって、主婦は春先から気を配り、山の幸や畑作の野菜を念入りに栽培して、この日の為に備えを怠らなかった。
 いざ日が近くなると二・三日前から、身内の主婦の手伝いもあって、煮物、和え物、揚げ物等々台所の棚狭しと準備される。
 これらの精進料理は「菜根譚(さいこんたん)」よろしく
濃肥辛甘(のうひしんかん)は真味に非ず、真味只是淡”
と、女房共はその素材の持ち味を生かして念入りに料理する。当日早々盛り付けるわけである。一の膳以外の盛り付けは、かねて用意された朴葉(ほうば)が利用された。
 さてさて、数ある料理の中から主だったものを紹介しよう。

 ・煮しめ
ジャガイモ・大根・牛蒡(ごぼう)・人参・山芋・椎茸・雑茸・笹竹の子・わらび・ぜんまい・ささげ・豆腐・はんぺん・ひりょうず・すまき・昆布・ひじき・生麩(なまふ)・湯葉・コンニャク等々

 ・つけ揚げ
紫蘇の種穂  干し柿  さつま芋

 ・和え物
生酢=大根をできる限り薄く切る((かんな)で引くとよい)。白酢(豆腐・白ゴマ・くるみ・塩・砂糖をこねて作る)で和える。
豆腐和え(わらび・ぜんまい・こきな等々)
()ゴマ和え(ジャガイモ・牛蒡・人参等々)

 ・小豆玉(あずきだま)
 品変わって()り貫きで型どった小豆玉なるものがあった。親鸞様の大好物だったとか、甘味を使わず薄塩で味付けされている所など、時代相と地域社会の聖人の遺徳を讃嘆(さんだん)する思いがにじみ出て面白い役物であった。
 さてさて、この様な盛り沢山の「ごっつお」等いくら飢えているとうはいえ食える筈もなく、否、酒の肴には次から次へと品代え強いられる汁物で事足り、一の膳、二の膳に並べられた珍味は我が家へ持参するのが常であった。
 幾枚もの朴葉と藁束(わらたば)が配られ、包装され藁で()われていった。ごっつおの一品も欠くまじと宴の座敷は大混雑を呈した。

 ああ、川の流れのように、明治・大正・昭和と過ぎていった。年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず。あのおふくろさん達の歩んだ道は人生は実に険しかった。

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