自然薯(じねんじょ)のとろろといなご(むかご)飯

 この村に伝わっている俗言に「午蒡(ごぼう)五時間、人参二時間、玉子たちまち山芋やた ら。」と、いう言葉がある。
 敏感なお方は直ぐにあのことじゃなと感じられると思 うが、この俗言は食べ物と性に関するものである。誰が言い始めたか知る由もない が昨今のことでないことは明白である。本来性欲は人間の種族保存、子孫繁栄の証 で特別かくしだてするべきものでもなく、大らかであってもよいと思う。
 本村では盆踊りのに民謡に性に関わる内容の詩が何の抵抗もなく、一般歌と混然と唄われ囃(はや)し立てられていた。
一例
  ♪ ○○のしたい程 仕事ができりゃ
     倉をたてます またぐらを

 娯楽の全くない貧寒村、夜の.灯火のもとでは、家族団欒の場など持てる筈もな く、ゆるいの回りの遅い夕飯が終わると、決まって寝床につごむしか術がなかった 。依って秋の夜長をもて遊ぶ為、夫婦の営みも必然的に頻度を増し家の嬶は跨い だだけでも孕みずらう≠ニ親父の嘆きも聞かされた。子沢山によってもたらされる 貧困、そして稼ぎは親父の背負わねばならぬ宿命でもあった。
 それにしてもあの大 家族に対するおふくろの食の賄いたるや如何に。
 そこで体力増強、精カ増進の栄養食品の素材あれこれある中から、語呂の合うも の四種を選んで先に述べた俗言が生まれてきたわけである。食してから牛蒡は五時 間経つと効果があらわれ、人参は二時間、玉子は忽ち、山芋やたらと合わせたわけ である。
 午蒡・人参は保存のきく野菜として特に意を注いで栽培され、鶏は採卵と 、正月用の肉の供給源として縁の下を囲い数羽から十羽程度飼育されていた。鶏の 生むに玉子など忽ち親父の食膳には登ったが、後の有象無象(うぞうむぞう)には病気にでも罹らな い限り□に入らなかった。
 その点、とろろは家族ぐるみで相伴にあずかれるので、今夜の夕飯はとろろ汁じ やとわかろうものなら、言うことをきき、おとなしくして待ったものである。手の 空いた者がすり鉢を抱えおふくろが要領よく芋汁を薄めていく。やがて山芋のとろ ろ汁ができあがり。家族みんなで飯に掛けてつるりと喉を通す。
 あの日あの時、子ども心にやたら食える位しか思わなかった。「やたら」とは、 辞典によれば「むやみ・みだり」の解釈がなされている。然れば山芋のとろろ汁は 性欲がむやみにみだりがましく起きると、汁の形状から連想して結びつけたもので ある。
 一方畑で栽培されて長芋・つくね芋もとろろ用として利用されるが、その風 味・粘度はとてもとても山芋 (自然薯)の足許にも及ばず商品価値としても月と スッポンの差がある。依って里人に受け入れられる効力の度合いを山芋やたら風に 表現すれば、長芋なかよか(仲良か)つくね芋つくずくという所か。

 秋、山歩きをすると何かに出くわす。拾うものも有れば採るものもある。
 「山へ行くんならテンゴ(藁で編んだナップサック状のもの)を負ねて行くん じゃぞ。」
 「転んでも唯で超きるんじゃないぞ。」
 山歩行に対するおふくろの処世の鉄則であった。成る程成る程。
 「山芋堀りか、平らな所に生えているやつには挑むなよ。骨折り損じゃぞよ。」
と、親父の箴言山芋掘りのコツである。
 「蔓(つる)を見つけたら先ずいなご(種、むかごのこと)を採るんじゃ。かぶっている 笠か帽子を反対にして成っている蔓に笠さしのべてたぐるんじゃ。」
なる程なる程、地表に落ちる前に笠の中へこぼれ込む。間口が広ければ広い程確率性が高いわけじゃ。
 この間隣人が雨も降らぬに洋傘を単車につけて出掛けさっせる所を見たが、 このいなご採りが目的であったということが後でわかった。所用があって隣へ行っ たら、座るや否や、鉄砲酒の振る舞い、酒の肴はいなごの煮付け。
 「家の孫共は長芋やつくね芋のいなごは見向きもせんが、この山芋のいなごだけ は不思議と口にせるんじゃでな。」
と、主の講釈を耳にしながら丼に盛ってあるいなごを頬張った。仄かな自然署の香 が乗り移って口中に広がり、尽きるまで四方山(よもやま)話にふけった。そこでいなごの独り 言、「いなごいつでもいつまでも。」
 このいなごを飯に炊き込んだのがいなごめしである。
 山芋掘りのことかな、余り労苦が多すぎて話す気にもなれんが、手短に言 うと急斜面で蔓を見付けたら、その根元の所から、一米も、二米も下方から堀り始 め、蔓元まで深くねんごろに、ゆっくりそっくり堀り進むのじゃ。兎に角、穴ん中 に全容をさらけ出してしげしげ見詰めることじゃ。こうなりやもう堀り上げたも同 然、両の手でいたわる様に抱きかかえ、中折れせん様に添え本の二、三本も当て神 妙に運ぶのがこつじゃ。今夜は一ちょう嬶(かか)さでも喜ばせるかと、思案の彼方、浮か ぶ家族の顔、古し日の明治の母の偲ばれるさわやかな味である。

 (高鷲ではムカゴのことをイナゴといい、昆虫の蝗のことはトンブシといい、貴重な蛋白源でもあった。)

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