つきユグイ

 目に青葉 山ほととぎす 初鰹
 この名句も新聞・ラジオを通して、いつしかここ高鷲の里にも流れてきた。され ど山深く交通の便の極めて悪かった一昔前のおらが在(ざい)には、獲りたての海の魚など 姿を見る所か、話題にも上って来なかった。
 海産物といえば、すべて干物、塩物で、代表的なものが身欠き鰊、塩鱒であり、 正月近くなると叺(かます)に詰め込まれた干し数の子が仲間に加えられた。(当 時は鰊が大量にとれ、数の子は安価で貧乏人でも容易に求めることができた。)
 底なしの貧困、たとえ店頭に並べてあっても、他所目(よそめ)に見て知らん振り、海産の 食品などおふくろの脳裡の埓外(らちがい)にしかなかった。たまさか、親父の釣って来てくれ たアマゴ・イワナ・ウグイが一せきの生臭で大いに食膳を沸かしたものであった。 (当時、川は魚の巣であった。)
 またどこの家にも泉水(せんすい)があり鯉が飼われていた。 これは病後・産後の肥立ち用として、欠くべからざるものであり、屋敷のどこかに 構築されていた。
鯉子・鯉の子
と田植えの終わった頃、天秤の桶をかついで鯉 子売りが訪ねて来たが、その長閑(のどか)な風景も今は消え失せてしまった。
鯉子売り 昭和も遠くなりにけり
という所か。

 さてさて、前口上が長くなった。青葉縁濃くする五月も半ば、川ではユグイ( うぐい)の産卵が始まる。川の上・下流界隈中のユグイが一処に集結する。それこ そ何百、何千、川瀬を変色させる程群れていた。これをつきユグイ≠ニいう。
 両 性共婚姻色をなして、見た目は非常にきれいである。どのユグイも食も忘れて恋に のぼせ、人影などに動ぜる気配もなく回遊していた。この道にさとい人達はおいそ れっと許り投網をかついでそこに走る。
 正に一網打尽である。家に持ち帰って腹わたもそこそこに抜き、矢串に差して ユルイで並べ焼き、天蓋(あま)につるした藁(わら)ツトで二・三日乾燥させる。後はおふくろの 腕の見せ所、大鍋で煮しめるのである。恋に朽ち果て痩せ衰えたユグイ、うまかろ う筈もないが、おふくろさんの味付け次第では結構いける。
 先ず、焼き干したユグイを鍋に並べその間に山椒を挟んで、酒・溜・砂糖(蜂蜜 )で煮しめる。煮汁が足しなくなると、番茶の煎(せん)じたものを注ぐ。そんな繰り返し を数時間。煮れば煮る程、美味しいと食い残しは、又火にかける。
 信州では、「さくらうぐい」と、いって名物で、みやげ物として販売されている ということを聞いたが、高鷲では下手(げて)に属する魚料理で子沢山の家庭に親しまれた 。
 でものし、おふくろの心のこもった煮付けなれば、そこそこ季のものとして、貧 しい食膳にいろどりを副(そ)えてくれたもんじゃった。

 目に青葉 遠山に郭公(かっこう) つきゆぐい


   目次へもどる