旨いものは大勢で

 下界(しも)の方では桜の便りも聞けるというのに、春は名のみの三月のつごも り、戸外に遊ぶもままならず独り囲碁に打ち興じていた。
 「リリン、リリン」と、電話のベルの響き、何事ならんと受話器をとった。
 「先生じゃもなー、今から葬式をせるで、直(す)んぐのぼって来て参っとくれんか。」
と、Kさんの誘い。
 「誰が死んないたんよ。」
 「そんなことはどうでもええで、兎に角、先生に来てもらって参ってもらいたい んじゃ。忙しいで切るぞな、例の所じゃでな。」
と、念を押して電話を切られた。
 Kさんの在所鷲見には老人達の憩う館がある。名 は黎明(れいめい)寮、如何にも洒落(しゃれ)た名前である。農閑期には誰彼となく、誘うでもなく誘わ れるでもなく、昼食持参、家での仕事まで持って来て一日を過ごす。勿論、老人達 の心の帰依所(よりどころ)佛さまもまつられている。また誰が焚くともなく薬草 風呂が朝早くから沸かしてある。
 何か企みがあると、うすうす感じながら普段着のまま、マイカーを操(あや)って雪道を 走った。途中、香典代わりにと酒一本持参することも、今迄の経験から割り出した 。憩いの家に着き玄関の戸を明けると、所狭しと履物が並んでいる。中を覗くとス トーブの回りで、てんでわれわれに仕事をしている人、雑談にふけっている者、多 士済々である。Kさんはと探したら台所で何やら、ややっこしいことをしてござる 。
 「お招きに預かって、遠慮もせずにかりて来たが…」
と、後の言葉を濁した。
 「先生、よう来ておくれた。みんなが先生を誘えというもんじゃで、忙しいこた なかったかな。」
と、手を休めるでもなく、何やら動物らしき物を包丁で解(ほぐ)してみえる。
 「夕んべ穴熊(しくま)を獲ったもんで、今日はみんなして葬式をせようってこ とになってよな。別に坊主は要らんけんど、先生なら気さくなしきっと来てくだれ ると思って電話をしたんじゃが、よう来ておくれた。まあ休んどっとくれ。」
(当時、この在のお寺は無住で、いろいろな坊主が出入りしていた。)
 「そしてよな、若い衆の差し入れもあったんじやでな。」
と、隣りで包丁をさばきをしておられるYさんの山兎を顎でしやくられた。
 「先生、風呂へ入っといで。」
と、促されたのでカーテン一重で仕切ってある風呂へ入ろうと思って裸になり、カ ーテンをめくって中を覗いたら、Sさんのお婆婆(ばば)がええ気分で浴槽の中に沈んでお られた。
 「先生入りなれるんか、一緒に入らまいかよ。背中流いてやるに。」
お婆婆の骨っぽい図体と誘いの言葉に辟易(へきえき)して、
 「後に入れてもらうで、ゆっくり入ってござれ。」
と、ほうほうの体で何事もなかった様な顔をして、
 「先客があってよな。」
と、元の場へ坐った。Kさんの料理した穴熊は既に肉と骨に分けられ、肉はスキヤ キ風に煮こまれ、骨と頭は熊汁として大鍋の味噌汁の中にさらされていた。一方Y さんの山兎はサシミとて無雑作に二つの皿に盛り付けられていた。
 「おーい、みなの衆やわおうかえ、てんでに持って来たもの出せよい。」
私も車に乗せて来た酒を引っ下げて、仲間入りのつもりでKさんに差し出した。  酒や肴の披露、そしてKさんの音頭で老入許りの春の宴が始まった。
 本村の俗言に「旨いものは小勢で食え。」と、諭(さと)されていたが、ここ鷲見では「旨いものは大勢で。」と、言わんばかり、盛会に山の珍獣の弔(とむら)いがなされた。勿論私の風呂の失敗談も旨くはなかったが酒の肴に供された。

 それから数日後、所用があって鷲見のFさんの家を訪ねた。
 「先生、ええ所へおい出た。」
とFさん、土間に転がした何か怪しげな獣を前にして、
「今朝方Kが狐を鉄砲で打ってさ、毛皮だけ欲しいで剥(む)いてくれんか、後はみんな で相談じゃ、Kも今直(す)んぐ来る筈じゃが、肉はひきずりにして一杯やらまいかな。急ぎの用でもなかろうに仲間になっておくれるもな。」
との誘いであった。用はどこへやら、先ず仲間入りの印(しるし)として大和屋へ走って酒一 升。いよいよ今日は狐の肉が食えるんじゃ。物珍しさと、この人達の山の暮らしの 一面に触れられる思いからFさんのしぐさを暫し見詰めた。
 「Fさん、熊や猪は食ったこともあるが、狐も、しょっ中取ってやー食いなれる んじゃもなー。」
と、物珍しさも手伝って尋ねてみた。
 「狐は毛皮の欲しい時以外は無理せんが、おらんとうのご先祖はのし、四つ足で 食えんもんは脚立(足が四本の踏み台)だけじゃと、教えてくだれたぞな。」
と、ことここまで徹してござる山の仲間、何か別世界に誘われた様な感覚に暫し浸 っていた。
 Fさんの毛皮を剥ぎ取る馴れた手さばき、丸裸にされた狐の哀れな姿、俎上に乗 せられたふくよかな肉の固まりは、真紅で一点のむらもなく、ひきずり用にと切り 刻まれていく。ふと、何を考えられたのかFさん、小皿に醤油を注いで肉片一切れ 手づかみで、さしみにして口中にされた。その途端、何としたことか跳び上がって 、
「やれ!口をしまってまった、□をしまってまった。」
と、口にされた肉片を勢いよく吐き捨てられ戸外に走って何度も唾を吐き捨ててお られた。誰も知らない悪霊の味覚か、Fさんの顔は苦渋にゆがんでいた。
 「もう後のこと家(うち)ではやってもらえん。」
の一言、同席のMさんが助け舟を出して下さった。
 「そしゃ、家(うち)でやるんじやぞ、婆々さもおるし。」
と、言われたのでそれ程遠くないMさんの家に席を移し変え、狐肉のひきずりを男 達手で焼き姶めた。
見るに見かねたのかMさんのお婆さんが、
 「おみ達、狐のひきずりにや、桑の本の枝を析って来て一緒に煮込まにや、とて も臭うて、泡だって食えたもんじゃないぞ。」
と、お婆々のみ知るくらしの知恵を貨してくださった。狐肉のスキヤキ、誰もが漬物 ははさみ酒は汲んだれど、鍋に箸を突っ込む者はなかった。
 「こんな旨いもの、おみたちゃよう食わんのか、なさけないこっちゃ。」
と、Mさんのお婆さんは一人占めにして口を動かしておられた。(いざとなりゃ、 女って強いんじゃなーの感を抱きながら眺めるだけだった。)

 この二話は、戦後平和もよみがえった昭和四十年代のことである。貧なる故に山に 往むあらゆる獣類まで漁(あさ)り続け、取捨選択を繰り返しながら食の宝典を作り上げた 山の男達。それを宜(むべ)として受け入れた女房共。

 過去にはこの山狩りに行った七人の屈強な若者が雪に封じ込められて死んでいっ た悲劇も歴史に刻み込まれている山の里高鷲。(十二月に飛騨の国境まで狩りに出 て、不明になり、翌年三月下旬まで発見されなかった。)

 昭和とは 食なき寒き 日の祈り

 異説鷲見大鑑伝説に、隠棲の為興(ためおき)親王に従者鷹司卿が熊の肉らしき ものを云々(うんぬん)と記されている。この伝承豊かな山里にも開発の槌(つち)音が山 の奥の奥まで響き渡り、獣の住居(ねぐら)を奪い、彼の美わしき天然の共生の場 を人間独善の思いのままに壊しつつある。

   目次へもどる