仏の子と常不軽菩薩

子の母をおもうがごとく

超日月光この身には
 念仏三昧をしへしむ
 十方の如来は衆生を
 一子のごとく憐念す

子の母をおもふがごとくにて
 衆生仏を憶すれば
 現前当来とほからず
 如来を拝見うたがはず
           浄土和讃

仏は母のように私に念仏を教えてくれた。
私は仏の一人子である。大切に思われている。
だから、仏を母を呼ぶように念仏せよ。
そうすれば、仏は現れてくださる。

 「 お母ちゃん」「 お母さん」「 ママ」母の呼び方はいろいろだ。でも、それは子どもが決めたものではない。「 母」が決めたものだ。子どもが熱を出した時、「 おかあちゃんはここにいるよ。」と呼びかけ、「 おかあちゃんがついているから大丈夫だよ。」と呼びかけてくれた。 だから、子どももその時の言葉で「 母」を呼ぶ。
 「 南無阿弥陀仏」も同じだ。仏からの呼びかけの言葉であり、私たちの「 母」を呼ぶ声なのだ。


 私は退職まであと一年半ある。身体がえらくなり、仕事が辛くなったから、今年でやめようかと考えたことがある。
 人は他人からの評価が一番気になる。人から認められたいと本心から願っている。認めてくれる人を仲間だと思う。(だからむやみに人をほめる)そして、回りに認められようと上を向いてあがく。それは人間の本性で、ある意味どうしようもないものだと思う。
 私自身も、少しでも役に立てばと思って身体に鞭を打って仕事をしたことがある。無理はきかなかった。役立たずであった。そして、人から何もしていない、役に立っていないと思われていると感じていた。

 入院しているNさんのお見舞いに行って、こんな愚痴を話した。すると、子どものためにと言っていろいろな事をすると、かえって迷惑だよ。それくらいなら何もしない方がずっとまし。Nさんはこう言って私を慰めてくれた。
 私は何もしていないどころか逆に、嫌なことをしなければならない時もある。自己嫌悪に陥る。自分なんかいなくても変わらない。だから退職も考えた。しかし、たった二人だけど待っている子たちがいる。彼らは辛そうにしている私に、「 先生お休みしたら」と、声をかけてくれる。彼らがいる限り教師を続けれそうに思える。


 美濃島与之助さんは晩年、道往く人に、どんな人に会っても手を合わせて拝んでいたという。それを見た人が、幼心に不思議でならなかったと言ってみえた。与之助さんは、私たちは仏の一人子であり、必ず仏になる人であると思っておられたのだろう。

 法華経の中にも同じ話がある。常不軽菩薩である。彼は全ての人に仏になってもらいたいと、会う人会う人を拝んだ。しかし、常に人々を軽んじない菩薩は、人々から気味悪がられ、常に人から軽んぜられる菩薩であった。
 手を合わせ拝むとあっちへ行けとぶたれる。すると、ぶたれない所から手を合わせる。今度は棒でぶたれる。すると、棒の届かない所まで逃げてまた拝む。今度は石を投げられる。すると、石の届かない所まで逃げてまた手を合わせる。
 宮澤賢治はこの法華経の中に出てくる「 常不軽菩薩」を自分の生き方の理想としていた。それを詩にしたのが「 雨にも負けず」である。
・・・
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
 Nさんは最後まで教員を続けた方がいいよ。先生みたいな教師がいないと。と言ってくれた。私は何もしていないから慰めだと思うがうれしかった。ほめられもせず、でくのボーと呼ばれて最後まで続けていけそうだ。

    仏暦二五五三年九月

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