まかせきることの難しさ

   自力と他力…心臓手術の体験から


   ともかくも あなた任せの としの暮   一茶

 七月末に、心臓の手術のために名大病院に入院した。
 根が臆病で気が小さい自分としては、心臓を止めるような手術はかなり不安であった。カテーテルの検査だけでも、気が遠くなってしまい、酸素吸入を受けたくらいだ。息子から「 何でも自分でコントロールしようとするからや。」と言われる始末だった。
 私は他力とは、仏に任せきることだと思っていた。手術中は麻酔が入っていて、何もできないので執刀医を中心にしたスタッフに任すしかない。「 死ぬ時は死ねばよろしいがな。」と良寛さんも言っている。ところが、今回の手術を通じてそうではないことに気がついてきた。
 「 任せてしまうこと」は何もしないことなのだろうか。任せようと思っても、もっと良かれと考えて色々心配し計らう。それが最善を尽くすことで、「 人事を尽くして天命を待つ」のだと。でも、他力における任せるとは逆のことをいうのではないだろうか。

 さて、手術中は全身麻酔なので全く意識がない。問題は意識が醒めてからだ。術後四日ほど、痛さとそれを和らげるための鎮痛剤の作用でほとんど覚えていない。昼か夜かも自覚がない。時間も分からない。そして、身体は五色の糸ならぬ五つの管でつながれ、身動きもならない。
 情けないことにあまりの痛さの為に、死の不安が湧き出てくるほど。死んだらどうしようとか、手術は大丈夫だったのかとか、様々なことが湧き出てくる。こんなに苦しいのになぜ家族は来てくれないのかとか、もしかしたら・・・などという不信や不安が、次から次へと湧き出てくる。
 それを取り除いてくれたのは、看護師さんたちの献身的な看護だった。もちろん先生方の誠実な治療があったことも忘れてはいけない。

 猛烈な痛みには座薬、「 辛かったら我慢しなくてもいいんですよ。言ってくださいね。」…様々な励ましの言葉がけ、トイレや洗髪、身体拭きなど、様々なものを任せきる心地よさは格別だった。
 自分がするんだ・自分がコントロールしなければ、という気持ちはどこかへとんでいってしまった。ちょうど赤ん坊になったような気持ちなのだ。ナースコールを押すと、どんな時間でも駆け足でかけつけてくれる。申し分けないからもう少し我慢しようと思いつつも、ボタンを押していた。

 困ったのがウンチのこと。寝ていてウンチをするのは赤ん坊の時以来。術後身動きができない時、ウンチの世話をしてもらった看護師さんに、「 ごめんね。」と言ったことがある。その時、彼女は不思議そうな顔で「 なぜですか?」と聞いてきた。苦しさと恥ずかしさで、黙っていた。
 でも、「 なぜですか?」という言葉は、頭から消えることはなかった。考えてみると、「 悪いね、ごめんね。」は汚いことをさせてごめんねということだ。本当は自分でやらなくてはいけないのに申し訳ないという気持ちだ。そして、これは、迷惑をかけてはいけないと思う心から来ている。
 「 人様に迷惑をかけない人になりなさい。」というようなことを子どもに話した人もいるだろう。でも、私たちは誰にも迷惑をかけずに生きているのだろうか。迷惑をかけない人が自立した人であるという考えは、傲慢な考え方ではないだろうか。
 例えば、私たちは、二酸化炭素(排気ガス)を出さずに車の運転をしているのだろうか。し尿やゴミ、二酸化炭素は出していないのだろうか。「 縁起の思想」は、生きとし生くるものは互いに関係しあって生きているということを教えてくれる。私たちは互いに迷惑をかけ合って生きている。
 迷惑をかけていいのだ。迷惑をかけているからこそ、他者へのいたわりの心が湧き出てくる。

 これに対して、手術代を出しているから世話をすることは当然と言う人もいるかもしれない。手術代に入っているから看護師さんを使うのは当たり前だし、それが看護師さんの仕事なのだからと考える。
 でも、その関係は、「 ブーバーの言う〈我―それ〉の関係」になってしまう。看護師さんを、自分にとって役に立つか立たないかという心でしか見られなくなる。
 現代の私たちの生活はまさにこれであろう。他者を自分の目的のために手段として利用してしまっている。

 そういえば、私はどう見ていたのだろうか。最初、担当の看護師さんが代わる度に名乗られたが、その名前はすぐに忘れてしまった。そして、苦しさを除いてくれる人としか思っていなかった。
 そこで、看護師さんの名前を覚えることから始めようと思った。それからは、聞いた名前をメモしていった。そして、できるだけ名前で呼ぶようにしていった。
 するとそれまで苦しみを取り除いてくれる人だったのが、違う面が見えてきたのだ。看護師さんの変る時間(勤務形態)や、それぞれの性格や仕事ぶりなどが見えてきた。そして色々な交流が始まった。看護師さんたちの大変さも良く分かってきた。

 それからは、下の世話や色々な事をしてもらった時に、「 ありがとう。気持ちよかったよ。」と言えるようになった。
 看護師さんも、そう言われるのはうれしい。「 悪いねえ。ごめんね。」と言う人が多いですから、と語ってくれた。

 そうすると、「 なぜですか?」と聞いてきた看護師さんの返事が気になってくる。何日かたって彼女が担当の時に聞いてみた。もしあの時、「 汚いことをさせてごめん。」と答えたとしたら、どういう返事をするつもりでしたか。
 すると、彼女は、「 ウンチが出ることは嬉しいことなんです。臭いがするとか汚いとかよりも、もしウンチが出なかったら腸閉塞など大変なことになるんです。だから、出ることが私たちにとっても嬉しい事なんです。」
 こういう返答が返ってきた。私の予想とは随分違った分、何だか涙が浮かんできた。患者の喜びを自分の喜びとできるこころは尊い。

 一週間たって、歩く練習をした。看護師さんに支えてもらいながら、もつれる足を運んで二十米程歩けたときの嬉しさは格別だった。
 彼女は、あの時の苦しんでみえたのを見ているから今日歩けたのは自分のことの様に嬉しいと語った。涙が出てきた。

 ところが、だんだん元気が出てくるにしたがって、看護師さんに甘えられなくなる。彼女等(彼)の大変さを知っているから、できるだけ自分でやろうと思いながら、看護師さんに甘えられない寂しさも味わった。
 そういう、甘える子どものような、わがままな自分がいるということも自覚できた。

 ある時、めまいがしてベッドに倒れた。ちょうど部屋にいた看護師さんを呼んだら、数名の看護師さんがすぐに駆けつけ、心電図や血圧計などをてきぱきと取り付け、声をかけてくれる。その動きが実に気持ちがいい。自分がどうなったのか不安であったが、安心も感じた。
 少し落ち着いた後で、ある看護師さんが、私は担当ではないけど上村さんのことは良く知っている。同じチームで情報を交流しているから、心配しないで任せてください、と力強く言ってくださった。同じチームで情報を交流していることを初めて知った。

 手術後体力が回復するにしたがって、看護師さんとの交流も少なくなる。しかし、隣のベッドに来る若い看護師さんたちの患者さんへの接し方を聞いていると、皆さん本当に一生懸命にやってみえる。会話も患者のことを第一に考えて対応してみえる。見ていて実に気持ちが良い。そして、それがまた私にとっても癒しになる。

 自分にゆとりのない間は、回りのことが見えなかった。少し元気が出てきて余裕が出てきたら少し見えるようになってきた。でも、それは始めからあったものであり気がつかなかっただけなのだ。
 でも、これだけははっきりと言っておきたい。一ヵ月あまりの入院生活を通じて、看護師さんたちの大変さは何とかならないものだろうかと感じたことだ。彼女らが夜勤明けで疲れた表情をしている時に感じたいとおしさは忘れることができない。

 身動きのできない手術の体験は、赤ん坊から小学生ぐらいまでを、十日ぐらいで一気に再体験するものかもしれない。
 振り返ってみれば、まかせ切れない凡夫のじたばたとしたあがきであった。そういうじたばたする自分であり、そして、目に見えないいろいろなお世話があったことを知ったのが、今回の手術の意味であったのだと思う。だから、「 任せる」とは、そういった様々なはたらき(世話)があることを忘れて投げ出すことではない。

 一茶の俳句を見ると、いろいろ努力した末にこの気持ちに到達したのではないと思う。そういった仏のはたらき(お蔭)を知ってしまったら、必ず救ってくれるという仏にお任せするしかないと、逆に考えたのだ。いや、地獄なりとも極楽なりともお任せとすべて投げ出している。

 「 人事を尽くして天命を待つ」という自力の心を、清沢満之師は「 天命に安んじて人事を尽くす」と言い換えたという。今を生ききれない人間が未来に生きることはできない。死を前提にして今を生ききる。自らの煩悩と無力さを知った時に、人事を尽くすことができる。
 今を懸命に生きるから明日が見えてくる。そして、自分だけでなく新しい世界が見えてくる。他人への思いやりも出てくる。はからわずして。

  鳩歩く 盆過ぎにけり 病室の窓

    仏暦二五五二年 八月
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