二つの功徳

スジャータの供養とチュンダの供養

アーナンダよ。わたしはもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。譬えば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、恐らくわたしの身体も革紐のたすけによってもっているのだ。
     (以下 「 ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経」より)
 八十歳を迎えようとしていた仏陀は、アーナンダを伴い最後の旅に出る。年老いた身体を引きずり、霊鷲山(王舎城)から故里の北に向かってガンジス河を越え、行く先々で布教・伝道をしながらの旅であった。「 若き人アーナンダよ」とよばれるアーナンダの年齢も五十歳を超えている。
 途中のパーヴァー村では鍛冶工の子チュンダに法を説いた。喜んだチュンダは、釈尊を次の日二月十五日の朝食に招待する。ところがチュンダが心をこめて作ったきのこの料理は、釈尊の弱った身体には合わなかった。釈尊はすぐに気がついたが、チュンダの好意を無にしたくなかった。それとなく他の者には食べさせないようにチュンダに話した。
 しかし、食した釈尊は激しい腹痛と下痢と出血に苦しむ。ところが、釈尊はクシナーラーを目指して再び出発するのである。今夜が最後の夜と覚った釈尊は、カクッター川の川岸で休まれ沐浴をした。
 川岸に横たわった釈尊はアーナンダにことづてを頼む。チュンダが、「 自分の供養した食べ物で釈尊が亡くなった」と思って苦しまないようにという配慮であった。
きっと誰かが、「 チュンダの料理のせいで釈尊は亡くなられたのだから、チュンダには利益がなく功徳がない。」と言い出すだろう。しかしそれは間違いで、私はチュンダの料理を最後の供養に選んで逝くのである。

私の生涯で二つのすぐれた供養があった。この二つの供養の食物は、まさにひとしいみのり、まさにひとしい果報があり、他の供養の食物よりもはるかにすぐれた大いなる果報があり、はるかにすぐれた大いなる功徳がある。

その二つとは何であるか? 
一つはスジャータの供養の食物で、それによって私は無上の完全なさとりを達成した。
そしてこの度のチュンダの供養である。この供養は、煩悩の残りの無いニルバーナ(涅槃)の境地に入る縁となった。
チュンダは善き行いを積んだ。

 スジャータの供養とは、四十五年前のネーランジャー川の辺での事。六年にも及ぶ厳しい苦行で痩せ衰えた釈迦に、村の娘スジャータが恵んだ一杯の乳粥のことだ。この川で沐浴し、この乳粥で体力を回復した釈迦は菩提樹の下に座り、「 さとりを開くまではこの座を決してはなれない」という決意をもって坐禅瞑想に入る。そして、ついに十二月八日の明け方さとりを開く。
 釈迦を仏陀へと導いたスジャータの供養と、死を招いたチュンダの供養は等しく同じ功徳があると語られる。どちらもニルバーナの境地に入る縁となった供養だからである。だからチュンダの供養の食物は他の供養よりもはるかにすぐれた大いなる功徳がある。
 チュンダの後悔の念はこのように言ってとり除かねばならぬと、アーナンダにことづけるのである。

 釈尊は二つの供養を同じと受けとめ、同時に御自身の「 さとり」と「 死」を同じように受けとめている。死は「 煩悩の全くない涅槃の境地に入ること」と。
 以前釈尊は、「 この身は様々な功徳によって生じた。私は功徳の恩を知っている。」と語られた。だから、この二つの供養は全く同じ功徳であると語られる。チュンダを慰める為の詭弁ではない。釈尊は真実そう思っておられるのだ。
 ここには相対すると思われる二つのことが対句のように表現されながら釈尊の口から出ると、同じ意味となって現れてくる。
 生と死。ネーランジャーとカクッターの二つの川。ブッダガヤの菩提樹とクシナーラーの沙羅双樹の二つの樹。

 チュンダの釈尊への気持ちと彼を思いやる釈尊の心に涙せずにいられない。

【我愛福徳】(なぜ功徳を積むのか?)

五木寛之・二十一世紀仏教への旅 インド (ユーチューブ)

    二〇〇九、五

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